X.その他の研究

 

1 佐藤友則(1998)「韓国および台湾の日本語学習者のニーズ調査」
言語科学論集第2号東北大学pp.4960

1.目的

韓国・台湾の日本語学習者にニーズ調査を行い、それぞれの学習者のニーズを把握し、それを今後の効果的な日本語教育へつなげることを目的とする。

2.研究の方法

 ・調査の方法:質問紙を利用した量的調査

 ・調査の対象者:韓国人学習者780名、台湾人学習者605

 ・調査の期間:19966月から19984

3.考察

 学習目的では、就職と興味の2つに絞られたが、韓国では就職を、台湾では興味を目的にしている回答者が多かった。これは、就職状況が厳しい韓国では、英語と並び日本語の習得が就職に有利に働くこと、一方、台湾では音楽・映画など日本文化が人気があり、衛星放送が普及していることと関係があると考えられる。

また、日本語能力の実態とその必要性では、実社会で役立つ日本語能力へのニーズはともに高かった。

クラス人数に関しては、韓国人学習者は少人数を強く支持しているが、台湾人学習者は必ずしもそうでもなく、いくつかに支持が分散していた。

 授業スタイルでは、韓国・台湾ともに問答形式への支持が最も高く、討論形式がそれに続いた。

 教育機材では、ビデオに対する支持が非常に高く、ビデオを有効に利用した授業が望まれている。また、台湾では韓国よりもコンピュータを用いた教育が支持されていた。

2 新内康子(1995)「日本語教科書の系譜(補遺)」研究紀要第17巻第1号 
鹿児島女子大学 pp.118

目的:共同研究により本誌で過去6回にわたって、1895年から現代まで日本国内で出版された日本語教科書の系譜を探ってきた。本稿では、まず、前回までに取り上げなかった教科書について調べ、次に日本語教科書の系譜を形づくる教科書の特徴、それらの教科書が何故に歴史に残る教科書となり得たのかについて考察することにする。

1.第一期・第二期・第三期・第四期に用いられた教科書(追補)

1-1.第一期(1895年〜1940年頃)の教科書など

a.日本語教授書                     1895 台湾総督府民生局学務部

b.国語教授参考書123    1896 台湾総督府民生局学務部

c.蕃人読本 巻1・(191534  (1916)台湾総督府警務局

d.簡易学校国語読本 巻14         1935 朝鮮総督府

1-2.第二期(1930年頃〜1945年)の教科書

a.皇軍慰問ニッポンノコトバ        1938       カナモジカイ 発行

b.日本語話方入門上・下巻        19391941  山口喜一  昭和印刷出版部

1-3.第四期(1970年〜現在)の教科書

a.外国学生用日本語教科書中級第1部・第2部 1971 早稲田大学語学教育研究所編

b.日本語でビジネス会話初級編・中級編   19891987 日米会話学院日本語研究所

2.系譜を成す教科書ができるまでの要因

[A]言語政策的理念:(1)同化政策

[B]時代のニーズ:(2)外交政策、(3)経済政策、(4)教育政策

[C] 日本語教育が行なわれた国別地域別ニーズ:(5)清国における官吏登用制度改革による日本留学の必要性、(6)満州における成人に対する短期日本語力養成の必要性

[D]学習者のニーズ:(7)未成年者、(8)一般成人、(9)英語圏の一般成人、(10)留学生、(11)技術研修生、(12)学習者の職業に対応するもの(13)学習者の研究分野の専門性     に対応するもの

[E]関連諸科学の影響:(14)国語教育、(15)国語学、(16)言語学

[F]教授法理論の影響:(17)直接法<グアン式教授法>、(18)<パーマーのオーラル・メソッド>、(19)オーディオ・リンガル・アプローチ、(20)コミュニカティブ・アプローチ

[G]人的・機関的つながり:(21)山口喜一郎と台湾・朝鮮・関東州・満州・華北、(22)芦田恵之助と朝鮮・南洋群島、(23)松本亀次郎と松下大三郎、(24)松本亀次郎と宏文学院と東亜高等予備学校と振武学校、(25)日語文化学校と日本語教育振興会、(26)長沼直兄と日本語教育振興会と財団法人言語文化研究所東京日本語学校、(27)国際学友会とその出身者たちが関わった機関

[H]教師のニーズ

[I]教科書作成者の教育観

3 大城朋子(2001)「日本語学習者のための沖縄の地域共通語−地域に根ざした
教材作成のための基本語彙に関するパイロット調査−」
日本語教育108 日本語教育学会 pp.99107

1.はじめに

 留学生のための地域語・地域事情に関する教材(『ウチナー(沖縄)事情入門』)を開発するため
に、地域の基本語彙に関する調査分析を行なう。

2.沖縄の地域語と先行研究

 命名やその定義等は研究者によっても異なるが、沖縄には、「ウチナーグチ」「ウチナーヤマ
トゥグチ」「全国共通語」、そして「ウチナーヤマトゥグチから全国共通語へ行く過程の線上では
ないかもしれない若者言葉(野原、1996)」等が混在している。

 本稿ではこのような多言語共存的状況を「地域語」と総称して使用する。

3.日本語教育と地域語・地域事情教育

 本稿では、日常生活で必要なものは教えた方が良いという観点に立っているが、日本語教育と
地域語・地域事情教育の共存への道は遠く、そこには膨大な課題が存在する。

4.調査

41 目的
     沖縄関係図書から出現頻度の高い地域の基本語彙を選定する。
     それらを分類し、分類毎の出現率と特徴を調べる。
     地域の基本語彙の表記法の実態を調べる。

42 方法
1)沖縄事情に関する本や沖縄への修学旅行の観光・地域案内11冊から地域語を抽出し、その
   出現頻度と項目別の分類を行なった。

2)(1)で選定した語を、意味によって項目別に分類し、その出現率を調べた。そして品詞による
   特徴も分析した

3)教材作成の際、表記法の指標とするために、これらの図書に出現した地域語の表記を全て
   記述し、それらの特徴を調べた。

5.結果と分析

51 出現頻度の高い地域語
     11冊の図書に出現した地域語は全部で426語(異なり語数)となった。5回以上出現
   した地域語は全部で86語あった。

52 出現頻度の高い地域語の分類
     10回以上出現した語では、「食材・料理」に関する類の語が圧倒的に多く、34%を占
     める。そして「場所・遺跡(17%)」「祭り・行事・踊り(10%)」などの順となる。
     品詞別に見ると、形容詞が一つ、動詞の連体形が一つ出現しているが、残りはすべて
   名詞となっている。

53 地域語の表記の方法
   426語の異なり語数中51語が複数の表記法で表されていることがわかった。そして、
   これらの表記には、次のような特徴があることがわかった。

1)同語に、ひらがな表記、カタカナ表記、さらに漢字表記が用いられている。

2)方言の地域的な発音の差が表記に現れているものが見られる。

3)長音/短音/拗音などのゆれがみられる。

4)漢字で表記可能な箇所には、漢字が用いられている。

5)カタカナ、あるいは平仮名表記に続けて( )の中に漢字で意味が補足されている。

6.結論と今後の課題

 出現頻度が10回以上の語群の93%は、日常生活で必要度が高く、他の語彙で代用できない
ものだと推測されるが、出現頻度が5回以上10回未満の語群には、そうでないものも含まれて
いるということが考えられる。

 比較的短期間に方言から共通語への言語転移の過程を辿ってきた沖縄のような地域の
言語状況は、中村(1999)が述べるように、複雑な「多言語共存状況」の様相を呈して
いる。また、本土化に向かって動いている社会への反動も手伝い、若者世代の間では、
逆にウチ ナーヤマトゥグチや方言を言語的、文化的アイデンティティを示すものとし
て使用しているし、最近では方言の特徴を強く出す傾向も見られ、沖縄の言語状況は更
に変化を続けている。

4 田中望(1993)「「日本語教育学」の確立にむけて」月刊言語 vol.22 no.1 
大修館書店 pp.7077

 目的:日本語教育を「学」として発展させるために、まず外国語教育の基礎となる応用言語学
    の確立を提唱する。

日本語教育能力検定試験におけるシラバス上の問題点

シラバスにおいて気になるのは、日本語関係と日本語教育関係の分野のアンバランスである。つまり、
日本語関係の分野にくらべて日本語教育関係の分野が明らかにきめが荒く、しかもレベルの異なる項
目が雑然と併記されていてまったく体系的でないこと、また外国語教育の世界での現在の研究の主流
となる考え方が抜け落ちていることである。特に、項目の多くが教授技法のレベルでとらえられてい
て、その技法を支える理論のレベルの問題が欠けている点が問題である。

日本語教育と社会の関係

日本語教育には、社会学的な研究はまったくないといってもよい状態である。たとえば、中国からの
帰国者の問題は社会的な問題として注目され、どう日本語を教えればよいかが当面の課題であった。
しかし、基礎的調査やそれに日本語教育がどう関わっていくのかなどの調査研究は現在までも行わ
れていない。

3.言語習得と言語摩滅

 中国帰国者の子どもの母語の喪失を防ぐためにどういう方策をとるべきなのか、われわれには
その理論的研究がまったく欠けていた。応用言語学の中で、ある言語を習得すれば、必ずある部
分ですでに身に着けていた言語の摩滅が起こるということが認識されるようになった。バイリン
ガリズムと言語摩滅との理論の結合は研究が始まったばかりであるが、日本語教育に関わるもの
は、応用言語学の理論が必要となってくる。

4.研究法に関する知識

 日本語教育能力検定試験の教育面のシラバスの中で、外国語習得及び学習に関する研究法について
の知識が入っていない。アクション・リサーチは評価活動のなかでの情報収集のための必須の活動で
あり、教育そのものの改善に直結するという意味で重要であるので、その方法を教師であれば身につ
けておくべきものである。

5.まとめ

日本語教育学を確立するための最初のアクションは、大学に応用言語学の学科を確立し、そのなかに
日本語教育を位置づけることであるように思う。

5 西原鈴子(1998)「コミュニケーションのための日本語教育」日本語学17-9 
明治書院 pp.100107

1.はじめに

 日常生活の中で日本語を必要とする人の増加と、学習者として統計に表れる人の減少という2つの
現実の持つ意味や、コミュニケーションの手段として日本語を習得することの持つ意味、それに関連
して起こるべき教育のパラダイムシフトについて考察する。

2.研究領域の展開

 日本語教育研究の領域は、日本語の文法・音声構造を解明する研究をはじめ、教授法や習得研究
などのように拡大し多様化する方向で展開してきている。また、世界の言語教育研究に見られる新
しい傾向の一つは、教師主導型から学習者中心型への認識が高まっていることがその顕著な一例で
ある。

3.「学習者」はだれか

 日本経済の低迷とともに学習者が減少している反面、学校以外の環境での日本語の学習が最近顕著
に見られるようになってきている。就労目的で日本に滞在する南米日系人や国際結婚による外国人配
偶者のような人々の増加に伴って、ボランティア・グループによる日本語教育の「サービス」が提供
されるようになった。この学習者グループは、職場や家庭等の生活環境における、言語の人間関係的
機能の獲得を第一の目的とする人々である。

4.学習者のニーズと学習計画

就労者や主婦のような学習者にとっては、日常生活上必要なコミュニケーション能力が要求される
ので、実際の生活場面を想定した学習活動が必要となってくる。よって、「ほんもの」の文脈が望
まれており、学習による達成感を味わうことができるようにプロジェクト・ワーク、ロール・プレ
イ、インタビュー・プロジェクトなどの活動が紹介されている。

5.教育のパラダイム・シフト

 上記のような日本語教育では、教育のあり方をめぐって従来の考え方から飛躍した側面が見出
される。それを以下の3点からまとめてみたい。

養われるべき日本語能力:コミュニケーション能力の中に特に社会言語学的能力は適切な言語生
活を送るためには欠くことができない。

教師・学習者関係:「学習者中心」の教室活動計画が推奨される。

支援態勢:教師だけでなく、学習者の周囲にいる人々はすべて学習環境の一部として学習効果に
影響を及ぼすということへの気づきが必要となる。

6 J.V.ネウストプニー(1995)「日本語教育と言語管理」阪大日本語研究 7 
大阪大学文学部日本語科(言語系)pp.6782

目的:言語管理理論の枠組みで「言語教育とは何か」という問いに対する答えを追求する。

1.言語管理の先駆者:言語計画と言語教育

 言語管理という分野は、伝統的な言語政策と1960年代からアメリカを中心にして発達してきた
「言語計画」の後継者だといえる。しかし、アメリカの二重言語教育やオーストラリアの言語計画
のように、言語教育に関わるものはあったが、言語政策と初期の言語計画の理論は、公用語の選択、
共通語の設定・開発等の問題に注意を集中し、言語教育にあまり興味を示さないのが普通だった。
後期の言語計画の理論では「習得計画」という概念が現われ、新しい言語を獲得すること、消滅し
つつある言語の復活、言語の保持を目標としたが、さらに言語習得のプロセスと言語計画のプロセ
スの比較・検討までは至らなかった。

2.言語管理の理論

 言語管理の理論は、同じく言語計画の考え方を修正しようとしたlanguage correctionの理論から出発したものであるが、以下の6つのポイントを挙げ、詳しく説明する。

1)言語問題処理としての日本語教育:「言語教育」は言語問題処理システム、つまり言語管理の大きなグループの一員である。日本語教育には、種々の言語問題への対策がある。伝達を可能にする機能、多様性を理解する機能、力関係の象徴という機能などがある。

2)日本語教育ではすべての問題を解決できない:Rubin1986)は悪性の問題の存在を示し、これらの問題が簡単に解決できるものではないことを指摘した。例えば、二つのグループ間における文字体系の対立を解消することができない可能性は大きい。もう一つの問題のタイプは、問題がある程度はよくなるが、完全に解決しないという性質のものである。言語教育の場合には、中間言語がそれに該当する。

3)言語問題は言語だけのものではない:伝統的な言語計画の理論の対象は、狭い意味の言語、つまり文法、語彙、発音ならびに表記に限られていた。しかし、広い範囲にわたる他のルールに注意を払うべきだという声が出始めた。言語と一緒に必ず「文化」を教えるべきだという要求があり、社会文化能力を目指す「日本事情」という分野の発生を導いた。

4)管理のレベル:言語教育は複数のレベルでの行動だと言えるし、国による言語計画だけではなく、これらのすべてのレベルが基本的に言語管理である。

5)管理のプロセス:言語管理の理論では、インターアクションの行為での規範からの逸脱、それに対する留意や評価を基礎にし、談話レベルかそれよりも上のレベルでの調整に進むべきだとされている。(a)事前調整、(b)事中調整、(c)事後調整の中で、言語教育には当然事前調整という性質が強い。

6)管理システムのパラダイム:言語教育の3つのパラダイムには、「@文法翻訳教授法、Aオーディオリンガル教授法、Bポスト・オーディオリンガル教授法 」が挙げられる。

7 山下暁美(1991)「アルゼンチンの日本語教育の歴史」国際学友会日本語学校紀要15 
国際学友会 pp.74100

1.アルゼンチンの日本語教育の歩み

 アルゼンチンの初期の移住者は脱耕者や、夢破れて南下してたどり着いた地がたまたまアルゼンチンであったという人も少なからずいた。移住者の心には一日も早くアルゼンチン国民になった方がいいという気持ちが強かったのではなかろうか。

 子どもたちの成長を見るにつけ、親の気持ちは日本語必要論の方へ傾くようになり、1927年日本語講習会という名で日本語クラスがスタートした。

 第2次世界大戦前の公認校ブエノス・アイレス日本語学校(在亜日本小学校)、在亜日本語学校(ブルサコ)、双葉小学校で使用された日本語の教科書は日本の国定教科書ではなくアルゼンチンの地理や歴史、国歌に日本語訳を入れた独自の教科書であった。

 1940年頃は公認校ブエノス・アイレス日本小学校をはじめ、在亜日本語小学校、双葉小学校、モサリオ日本語小学校、コルドバ小学校、サンタフェ日本語小学校、モロン日本語小学校等少なくとも12,3校はあったようである。

 戦時中の日本語の授業は巡回指導、寺子屋式で行なわれていた。

 内海氏によると1945年以降の日本語教育は失意から反動の時代であったという。1960年になっても日本語学校数8校、生徒数300名を数えるに過ぎなかった。日本の経済の復興がなかったら学校数31校、生徒数1200名(1981)という状況はありえなかっただろう。

 かつては親と子のコミュニケーションのため、日本の文化を日本人の子として知るために日本語を学んだ。今は家庭内のコミュニケーションだとか日本人の文化だとかいう声は全く聞かれない。日本の進んだハイテクノロジーを学ぶために留学したい。そのためには日本語の試験にパスしなければならない。今は日本へ行くための日本語である。

 現在は大使館、日本人会、日本研究団体、ブエノス・アイレス大学などで成人向け日本語教育が行なわれている。1989年の調べでは約31校で授業が行なわれている。日亜学院が最も多く生徒数270名、教師数27名である。ついでブルサコ校が多く生徒数139名、教師数5名、ウルキーサ校生徒数97名、教師数2名、西部校生徒数90名、教師数5名である。生徒数が20名前後のところが最も多く約半数を占めている。

2.ドクトール・エウヘニオ・ハバン氏と戦前の日本語通信教育

 ハバン氏は1985年『和葡西常用漢字辞典』を編集した。現在は和独漢字辞典を執筆中である。ハバン氏は約10年間にわたってブタペストとベルリンで日本語を学んだ。そして東京勤務時代つまり1940年から1942年まで「THE JAPANESE CORRESPONDENCE COURSE」という通信教育で日本語の学習を続けていた。そして通信教育を知ったのはJapan Timesによってである。ハバン氏はこの通信教育の教材に有用な言い回しが数多く含まれていて役に立ったと述べている。この制度で学習していた人がいたのかなどは謎のままである。

3.アルゼンチンの日本語教育の歴史年表: (略)


8 山田泉(1991)「言語教育として見た日本語教育と国語教育」日本語10-9
 明治書院 pp.411

目的:日本語教育と国語教育はどういう関係に立っているかを考察し、相互に学び合うことで発展していくことの可能性について指摘したいと考える。

1.「国語教師がそのまま日本語教師になれるわけではない」か?

 現在まで「国語教師がそのまま日本語教師になれるわけでない」と思ってきたが、しかし、コミュニケーションという人間の社会性を支える技能の教育に携わる上での共通性を無視できないと思うようになった。その共通性から、教育理念、教育内容、教育方法などについて、学び合うことがいかに双方にとって意義のあることかを述べることとする。

2.日本語教育と国語教育

 日本語教育は学習者が非母語話者であるのに対して、国語教育は学習者が母語話者である。さらに前者は生活の諸行動が日本語でのコミュニケーションを通して達成できる幅広い能力の獲得が目指される。これに対して後者は、純粋に教養外国語としての教育から前者に近いものまで様々な段階が考えられる。これらの相違が強調され、相互に学び合える関係へ進んでいないのが現状である。

3.教育内容・方法を中心とした相互学習の可能性

1)聞く・話すことの教育

    現在の日本語教育は、口頭表現を重視する立場を採っていて、聞くこと、話すことの学習は、四技能の学習の基本と考えることが多いが、国語科の教育では、軽視されてきたと言えよう。「ディベイト」・「ロールプレイ」・「シミュレーション」・「プロジェクトワーク」のような日本語教育の指導法が国語教育においても参考になるのではないかと考える。

2)読む・書くことの教育

    文字・表記の教育については、生活言語としての日本語の学習であれば、多くの場合学ぶことになる。このような場合、合理的な指導を組み立て、少ないエネルギーで効率的な学習が図れるようにした。そのために国語教育の指導法の応用は有意義であると考える。一例を挙げると、平仮名の導入の時の、筆運びの訓練や五十音順ではなく、自分の名前とか読み書きに必要な単語から提出すること等も日本語教育でも当てはまるようである。また、漢字の成り立ちを考えながら学ぶ方法は学習者の漢字に対する興味を高めるのに役立っている。読解及び作文の技能のレベルについては、「スキミング(大意取り)」、「スキャニング(情報探し)」による訓練、表現の意味を類推する能力の養成のために、既に知っている物語の日本語版を朗読するといったことも国語科の読解指導でも効果があると思う。

4.教育理念を中心とした相互学習の可能性

 1970年代後半からの認知主義心理学の学習観に立った教育理念を検証し、より合理的な指導法が求められる中、共通の問題に対し、協力して解決を図ることが必要である。

9 佐々木倫子(1997)「「日本事情」と日本語教育-国内・国外の連携-」日本語学 16-5 
明治書院 pp.110117

目的:日本国内の大学で行われている「日本事情」のあり方について考える。

 文部省の公布による「日本事情」は何を、誰が、どう教えるかを明らかにはしていない。

 「日本事情」の多面性を考慮し、日本語教育や専門教育との連携、学内における留学生の勉学生活支援部門との連携等も視野に入れなければならない。

 日本語教育も日本事情もそれぞれ言語形式や日本の文化・社会についてだけではなく、文化の分析能力を育て、日本文化との接触の中で行動できる社会文化能力の育成を目標とする意味で、両方が合致された形として教育が行われている。

 日本の大学における留学生受け入れの現状は短期留学生数の激増、多様化の時代に入っており、国外と国内の連携が求められるようになった。そこで、1996年オーストラリア・ニュージーランド地域で行った、「日本事情」授業のビデオを用いたグループ・インタビュー調査について報告し、今後の国内の大学における日本語・日本事情教育を考える一助とする。

オーストラリアの7大学、ニュージーランドの2大学の教員と学生に、「日本事情」四授業のビデオを視聴してもらった後、教員には自分が理想とする授業との異同、学生には自分が受けたい授業との異同について答えてもらった。

調査の結果、11項目に分類できたが、ここでは上位項目のグループにしぼって述べる。

「人間」に関するコメントは、最も量が多く、一致して教壇中心の固定式対人位置を排除し、学生も教員もお互いの顔を見ながらインターアクションが持てることを理想とする。また、学習者中心主義が支持され、文化の教育が教員から一方的に流れていくのではなく、学生が自分で異なる文化を発見する過程を重視すると考えられる。

「内容」については、現代日本社会に関するものを支持する声がかなり強い。しかし、「何を」取り上げるかよりも、あるテーマを「どう」料理するかに関するコメントの方が多く、学生自身が分析に根ざした比較対照の視点が取り込めるようなテーマが好まれている。

「活動」は、教員の間でも講義型の支持は低く、たとえ講義型であっても、学生の疑問を出させる、学生巻き込み型が好まれる。さらに、教員が方向付けはするが、学生に主導権を持たせる活動形態が好まれる。

「使用言語」に関して、多数の教員は日本語で授業を行うことの意義を挙げる。外国語による授業の場合、日本人教員の外国語能力を危惧する声が強い。

「設備」、「教材」については、ビデオ・OHPなどを使いこなす能力が評価されるのと同様、板書を推進するコメントがかなりあった。また生の教材・本物の教材が高く評価された。

10 喜多川豊宇(1997)「ブラジル・タウンの形成とディアスポラ−日系ブラジル人の
定住化に関する7年継続大泉町調査−」東洋大学社会学部紀要第34巻第3号 東洋大学 pp.65182

序章 研究の目的

 ディアスポラ(diaspora)とは、バビロン監禁後、ユダヤ人が異邦人の間に四散(Dispersion)した歴史的な故事から、四散したユダヤ人一般を示すようになったが、これが最近では、広く、祖国を離れた移民(immigrant)の子孫を呼称する場合も見られる。

 ブラジル人移民は、ノードである大泉町、浜松町、豊田町などへの集住化の他、日系人ネットワークの広域化も進行している。全国3千余の市町村で日系人が皆無のところは数少ないともいわれる。

 この意味で、彼らを単なる労働力としてではなく、定住性をもった、生活者・住民として受け入れてゆくことを行政、雇用主、地域住民は求められ始めている。こうしたニーズに応えるべく、生活構造・意識に関して、日伯比較の視点から研究を進めてきた。

1章 大泉町の労働問題と日系人受け入れ

中小零細製造業に外国人雇用が集中しており、外国人の内訳は、ブラジル人71.5%、ペルー人11.3%と日系人が80%以上を占めている。大泉の富の源泉である、製造業、しかもその基盤を支える中小零細製造業における労働力は、日系人で主にまかなわれていると断言できるのである。雇用外国人の63.3%は大泉町に住んでいる。労働者としての彼らは、とりもなおさず、60%以上が地域住民であることも指摘できる。

人材派遣業者を通さずに、合法的に直接雇用することを目指して、東毛雇用安定促進協議会が発足した。新入管法に準拠して、不法就労者を雇用せず、慢性的な人手不足を解消する切り札として、国や県の指導を受けて創設したものである。

2章 日系ブラジル人の基本属性

 日系ブラジル人の場合、日本とブラジルとの国籍概念が異なっているため、二重国籍が発生する原理も潜んでおり、日系ブラジル人といっても、国籍は一様ではない。

 大泉データのなかで、大泉町で働いているものは、50%未満であり、県内の大泉町以外で働くものが30%を越している。県外で働くものも、20%近い。大泉町は、労働する町であると同時に居住地として選択されていることが判明する。

 1990年の大泉データでは、労働市場において、20歳台が41%であったが、1994年データでは、58%に上る。日系人の若年齢化傾向が認められる。

 1994年データで配偶者の血縁をみると、日系人が70%を超える。1990年調査との大きな差異が認められる。1990年のデータで配偶者が日系人であるものは、50%を下回り、外婚率が高く、配偶関係の国際化が認められる。しかし、定住化が進む中、日系人の血縁が濃くなりつつあるが、ほぼ3分の1が、非日系人と結婚している。配偶者の国際化は、顕著である。

 大泉データでは、初期来日者には2世が顕著であったが、1994年以降の調査では、2世が減少し、3世の比重が高まっていることがわかる。来日日系人の若年齢化に対応している。1996年データでは、1世の割合が高く示されているのは、若い日系人の場合、自分を移民世代の1世と認知するものが多いことを物語っている。また、二重国籍者の場合、自分を1世と回答する場合が多い。

 言葉の能力は、明らかに低下している。定住化で在日日数が延びているにもかかわらず、「読み書きともにできる」ものも、「会話なら自由なもの」もかなり減少している。「ほとんどできない」ものはかえって増加している。「何とか意思疎通できる」や「聞くだけなら少しできる」が増加しているのは、在日日数の長期化によって日本語に次第に慣れてきたことを示しているが、習熟するには至っていない。また、最近来日した日系人の世代が進み、若年齢の日系人が多いことも日本語能力の低下をまねいている。

 1990年に比べ、大学院修了者の登場など、高学歴者がやや姿を見せているが、1994年以降は大きな変化はない。小中校卒業程度が4分の1を占め、高校卒業程度が中心を占める。また、大学在学中に、休学して来日するものも現れた。

 1990年の大泉データに比べ、1994年データでは、会社員が減少し、学生・生徒が、32%余と、高校生や大学生学業半ばで、来日するケースが増えている。これが来日日系人の若年齢化を進めている。

 大泉データでは、1990年の初期来日者に比べ、来日前に、一人世帯や夫婦のみの世帯であったものが、1994-5年には多く見られる。1990年では、夫婦に子供の核家族や祖父母を含む拡大家族といったパターンに中心があったのに対して、1994-5年調査では家族形態が小規模化し、多様化している。

3章 来日の目的と日本での仕事

 来日の目的について1990年以降の大泉データをみると、初期来日者の主目的が一貫して貯蓄にあったことは間違いのない事実である。特に、デカセギ初期では、86%の高率を示す。円高のうま味を求めて、バブル経済のピーク期にあって、引く手あまたの中に来日していたのである。これが1994年データ以降になると、大きな変化をみせる。貯蓄は46%程度にまで下がり、これに「母国の治安と経済が悪いから」が44%、「日本を知るため」が37%と来日動機に加わり、目的が分散するのが特徴である。

 転職について1995年調査をみると、転職歴の「ある」ものが、77%に達している。来日してからの時間経過が長くなったこととバブル経済の崩壊がその主な原因である。

 1994年の大泉データによると、自動車関係製造業19%、電気関係製造業29%、その他製造業19%と、各種製造業だけで67%を占めている。この他、食品関係12%、ブラジル系エスニック・ビジネス6%、クリーニング業3%など就業先の多様化が進んでいる。

 第4章 日本での生活と課題

 日系人たちは、外国人であるために受けた差別や偏見を感じたことがあるだろうか。1992年の浜松調査では、70%以上である。大泉データによると1995年では、「頻繁に」19%、「ときどき」57%と合計78%、1996年でも、合計79%に及んでいる。この傾向は顕著である。

 3K労働に対する不満、給与に対する差別感など、労働条件に関する差別・偏見に集約されてきていることがデータに表れている。外国人であるために受けたこれらの差別や偏見の内容は日本人と日系人の共生を疎外する最大の要因といえる。

 日常の生活における悩みや心配としては、ホームシック、言語障壁、母国の家族、将来の生活設計が20%を超える4大悩み・心配の内容である。

5章 ニッケイジン・アイデンティティーの構造

 あなたは「ニッポンジン」の意識をもっていますかの問に対して、1990年では、40%近くがあると答えた。1994年では45%と高くなっている。日系人の出稼ぎ者がブラジルへ持ちかえった富や情報が、日本へのアイデンティティーを高めたといいうる。しかし、1995年以降のデータによると、次第にニホンジン意識は低下している。2世から3世が来日日系人の中心にシフトしたことに対応している。

6章 日本人社会とのコミュニケーションと情報環境

 地域社会で、日系人ネットワーク社会と日本人との交流に関して、65%弱が地域や職場で日本人との交流をはかっていることが認められる。しかし、1996年では、ほとんど交流しないものが、44%に上る。これは、日系人の集住化に対応している。日系人同士で隣接して住む傾向が高いからである。日本語の分からない、3世を中心とした若い世代が増加したことも原因である。日本での滞在が長期化し、家族形成が進んでいるが、反比例して、地域社会での日本人との交流はむしろ停滞している。

将来の生活意向

 1993年データでは、日本によい仕事があり、受け入れが良ければ、日本に定住したいですかの問に対して、定住意向層が31%、非定住意向層が29%、未だ決めかねている層が40%みられる。1994年、1995年、1996年でも、基本的に傾向が一貫している。

 帰国後の仕事意向について、1994年の大泉データでは、帰国後、もとの仕事にもどるものは8%しかいない。新たな仕事につくが15%、しばらくして再訪日が19%、わからないが58%である。1995年データでは、分からない層が68%に達する。不透明な将来意向となっている。

8章 日系人の居住地・職業選好

 1994年の大泉データでは、最も住みやすい地域は、群馬県内が、80%と、次の埼玉県内の7%を大きく上回っている。1995年のデータでも、最も住みやすい地域は、群馬県63%と、次の埼玉県13%を大きく上回っている。

 1994年大泉データで、「住みやすい」と答えた主な理由をあげると、家族、親族、友人が多い39%、気候が温暖27%、職場や地域住民が親切26%、母国情報が多い21%と並んでいる。

 良い仕事を見つけやすいことが居住地選好の大きな理由になっているが、ところで、このよい仕事とはどんなイメージなのだろうか。1990年の大泉データでは、温かい職場36%、気やすい経営者31%、時間給が高い28%と並んでいる。1994年の大泉データもほぼ同じであるが、温かい職場が突出した印象を受ける。日系人が多く働く事業所では、日系人同士が互いに助け合うことも可能である。日系人広域ネットワーク社会には、日系人が多く集住し、こうした温かな職場を得やすくしていると考察する。

 もちろん、残業の有無や時間給の多寡など、バブル経済の崩壊後の悪化した、経済状態を反映した結果が出ている。1995年データでは、残業が多い39%、時間給が高い30%なども並列される重要な選好指標である。

 第9章 保健医療   <略>

 第10章 日系ブラジル人の教育問題

 日本で教育を受けている小・中学生を持つ保護者を対象として、子供の教育についての悩みを尋ねたところ、最大3つの複数回答があった。「子供の日本語が不十分で授業についていけない」が44%、「自分の日本語や知識が足りず、子供の勉強を見てやれない」37%、「母国の国語や歴史の勉強が遅れる」35%がそれである。

 第11章 期待される行政サービス

 1994年の大泉データでは、日系人が一番求めている行政サービスは、「母語による医療・薬事相談」37%、「母語による生活相談窓口の充実」31%、「母語による行政サービス情報の提供」25%、「日本語教育」23%という結果が見られた。

 1995年データでは、「日本語教育」39%、「母語による行政サービス情報の提供」31%、「母語による医療・薬事相談」28%となっている。

 1996年データでは、「母語による医療・薬事相談」37%、「母語による生活相談窓口の充実」31%、「母語による行政サービス情報の提供」25%、「日本語教育」23%となっている。

 これらは、いずれも異文化・言語障壁が存在していることを意味している。異文化・言語障壁が、こうした日系人広域ネットワーク社会を形成する動因になっていることも伺えるし、日系人だけの社会で解決できない諸問題が、かれらの様々な行政ニーズを生み出しているといえる。

12章 日系ブラジル人の文化変容

 文化変容とは、異なった文化を持った集団が、互いに持続的に直接接触をした結果、一方または双方の集団の文化が変化を起こす現象を指す。

 ブラジルのニッケイ文化は、日本にリターンしてきてそのオリジンとの違いをみせる。ニッケイ文化は、さらに、現代日本文化を取り込んで、変質する。マルシアの敬語はその象徴である。グローバル・シティーの中では、トラベリング・カルチャーは、かえって、強いアイデンティティーを発揮する。