U.日本語の国際化に関する研究

1 江川 清(1994)「新プロ「日本語の国際化」の研究方向について」日本語学1312 
明治書院pp.1118

1.目的:本プロジェクトの課題「日本語の国際化」について紹介する。

2.新プロについて

「新プロ」とは、国立国語研究所のプロジェクトであり、研究分野は(1)既存の研究分野及び他の
学問分野の進展に広く影響を与える研究(A型)、(2)次の時代の新しい技術分野と技術体系の創出
・発展の基盤となる研究(B型)、(3)世界的規模で解決を要する研究、人類の福祉の向上に格段に
寄与する研究、国際的な協力により一層効率的に推進できる研究等(C型)であるが、本研究「日本語
の国際化」はC型として位置づけられている。

3.新プロ「日本語の国際化」について

本プロジェクトでは、国際化の中での日本語の使用現状を明らかにするための研究が中核にすえ
られて、将来における日本語使用の発展動向や異文化コミュニケーションによる文化摩擦の問題
日本語による海外への情報発信の問題についての研究を目指している。

本研究の組織は、総括班と4つの研究班からなっている。総括班は全体の企画・調整を図り、
各研究班の研究を支援し、研究成果を還元周知させる役割を持つ組織である。

4.研究班の研究対象・内容

・研究班1「日本語(国際)センサス」は、国際化の中の日本語の使用状況を調査することが
目的である。研究班2「文化摩擦」は多言語状況の下に、異文化コミュニケーションの視点から
研究することが目的である。研究班3の「実験言語」は、「語の表記が認知に及ぼす影響」、
「音声言語の韻律特徴」、「コンピューターによって生成された言語」に関する研究を目的と
している。研究班4の「情報発信のための言語資源の整備に関する研究」では、「通訳」、
「翻訳の問題や漢字コード設定の問題」、「日本語コーパスの作成」、「帰国子女の問題」の
ような課題に取り組んでいる。

5.日本語国際センサスについて

研究班1は本プロジェクトの基底部となる国内外での日本語の使用状況などの実態を明らかに
することを第一の目的として、諸国での日本語の使用者数を調査しようとする。

2 小塩節(1993)「日本語と日本文化の輸出」月刊言語vol.22 no.1大修館書店pp.6269

目的:日本語を世界に発信するために、何が必要であり、どのように対処しなければなら
   ないか考える。

 言語教育は、目先の輸出だけでなく、遠い将来の友人づくりの種子蒔きであり、大砲より
強力な安全保障であると思う。

 文化や言語の輸出となれば、翻訳が重要であるが、日本の図書が外国語に翻訳されることは
非常に少なく、日本についての本は殆どが英語から諸国語に重訳されたものである。

 アメリカをはじめ、ドイツなどでは国家レベルで日本の情報を徹底的に研究する中で、
日本国内からの発信は微々たるものであった。

 世界から日本への情報を求めている情勢で、日本においての翻訳は高度な頭脳労働として
見なされず、翻訳に対する報酬も低いのが現状である。

 最近、国や企業での翻訳助成が行われている。翻訳の助成は文化交流不均衡の是正の
ためにも必要なことであり、非常に大きな効果のあることが知られている。

 日本語の需要は、全世界的に大きくなってきている。それに応えて、いい教材、辞典をつくり
提供してあげ、よい教師を養成して派遣してあげなくてはならない。そのためには、
日本文化の輸出には、当分巨額の持ち出しが続く必要がある。

3 門倉正美(1994)「「内なる国際化」と日本語教育」 横浜国立大学留学生センター紀要 第1号 横浜国立大学 pp.317

 目的:国際化というのは、「外」にむけての事柄だけではない。ここでは、国内の国際化、
    内面の国際化、内発的な国際化という三局面を概観し、日本語教育との関わりを考察する。

1.国内の国際化

 日本の「単一民族・単一文化」イデオロギーが、在日朝鮮・韓国・中国人などの国内の
少数民族を差別し、排除してきた。内なる国際化の第一の課題は様々な民族と文化の多様性を
認めることである。

2.内面の国際化

 国内での外国人との接触において、「ガイジン」という呼称には「ウチ」には入れない
「ソト」の人というニュアンスがあり、さらに、歴史上「脱亜入欧」精神から、
白人コンプレックスとともに、アジア人蔑視の感覚がうかがえる。
また、第二次世界大戦の問題をめぐる、日本人の歴史意識の問題も内面の国際化を妨げて
いる要因ではないだろうか。

3.内発的な国際化

 政府主導のトップダウン式の国際化は政治的・経済的「外圧」によるお仕着せという
側面があるが、それと対置される動きとして、NGO活動をはじめとする、市民が主体となる
内発的な国際化が注目される。

4.内なる国際化と日本語教育

1)日本語教育と国内の国際化:国内の国際化に向けて、日本語教育者が留意すべきと
   思
われる3点を指摘する。第一に、日本語の特殊性、難しさを強調しないことである。
   第二に、言語規範と価値規範を混同しないことである。第三に、日本語教育者は学習者
   からみれば時に日本の文化や社会を代表してしまうことに自覚的でありたい。

2)日本語教育と内面の国際化:日本語教育の場は学習者と教育者にとって
   自文化を相対化しうる「異文化交流の場」になっていくのであるが、その場に
   おける交流は文化の対立や言語能力の問題が含まれるので、教育者の知的関心の
   広さと柔軟さが問われる。

3)日本語教育と内発的な国際化:日本語教育の需要の増大は外圧的な国際化の所産
   という要素が強いが、日本語教育の役割を内発的な国際化に貢献するものへと転換
   させていくための戦略をさし迫った課題としている。

    大学の留学生センターや市民ボランティアによる活動が大いに期待される。

4 姜尚中・田中望(1998)「[対談]日本にとっての「多言語主義」」月刊言語 vol.27 no.8
大修館書店
pp.74〜98

1.目的:外国から来日した子どもや花嫁に対する日本語教育のあり方を考え直す。

2.日本語の中の多様なディスコース

  多言語主義も重要だが、日本語の中に方言を含め、メディアによる言語、大学の先生
による特権化された言語、アジアからきた女性たちが使っている言語などの多様なディス
コースが存在する。問題はメインストリームのディスコースを持たない家庭で育った子ど
もが感じるディスコース間のギャップ及び母国語と第二言語の併用である。社会全体が多
様性を認め、特権化されたディスコースを崩していく必要がある。

3.外国語教育と「多言語主義」

 外国語教育は単に言語を教えるだけではなく、第二言語に関する歴史的、文化人類学的、
民俗学的なもの(日本と朝鮮、中国との歴史的関わりなど)を取り入れないと、教育はい
びつなものになっていく。

4.アイデンティティの自己管理

 多言語主義をしっかり受け止めていくためには、その社会の中に、個人がもっている多様
性を生かす概念である「アイデンティティの自己管理」を意識しなければならない。

5 鈴木孝夫・徳川宗賢(1994)「国際化の中の日本語」日本語論1-1
  山本書房 pp.84102

<日本語とは?>

徳川:日本語は孤立していて、輪郭がくっきりしている。まわりを見ると、たしかにアイヌ語あり
朝鮮語アリ中国語ありロシア語ありだけど、系統的に断絶しちゃっている。

鈴木:ヨーロッパのような裾がだんだんぼやけて、いつのまにか別の言語になっているって状況じ
ゃない。

<日本語を話す人たち>

徳川:日本語を話すのが、日本人だけじゃなくなってきた。
鈴木:顔が日本人で祖先も日本人だという人を見て、おまえ日本人だから日本語わかるはずだ、
   という態度で接するとか、逆に例えば、紅毛碧眼の人を見ると、定義上、日本語がわか
   るはずはないと確信をもって珍妙な対応をする。

徳川:日本語と日本人という対応の整合性、安定性、この歴史が長すぎたんですね。
鈴木:それがプラスの面で働いたところも勿論あるが、マイナスに働いたこともある。
   国際化時代においては、どうもマイナスの面が次々とでてくる。そう思えるんです。

<初体験>

鈴木:国際化というのは、日本人が人並みの人間になるってことなんで、ほかの民族
   だったらとっくに経験し日常一般になっていることがやっと体験できるように
   なったということでしょう。

<被害者と加害者の関係>

鈴木:日本人は加害者としての経験って、言語の問題を含めて、あるんです。だが、
   被害者としての経験がない。このことが、いわゆる国際化時代に日本人の対応
   の仕方を難しくさせる。

<中国語の日本語への影響>

鈴木:六世紀以降の遣唐使の影響どころか、百年、二百年以前から大陸の言語文化の
   影響を受け続けている。そこでそれを、押し付けられたんだ、イヤだ、という
   意識がなくて、有難く押しいただいていたから、そこに被害者意識が育たなかった。

<文化宗主国>

鈴木:日本という国は歴史的に三度?文化宗主国を替えている。第一回は、西のローマ
   東の長安、と言われた隋唐の最盛期に、日本は中国文明を全て仏教から学問から技
   術まで、多少はこちらで換骨奪胎するとしても、原型は全部もらっている。それが
   千年以上続いて十九世紀末に、文化宗主国である清朝が新興勢力である野蛮なヨー
   ロッパ勢力によってダメになる。そうして文化宗主国を西洋に乗りかえる。中心は
   大英帝国。そのイギリスにフランス・ドイツをセットにした、私の用語で、
?トロ
   イカ・システムを作り出す。

<英仏独・トロイカシステム>

徳川:その?トロイカ・システムは、外国語教育にそのままあてはまりますね。
鈴木:そうです。岩倉さんなんかの視察団の膨大な報告から、ヨーロッパの国々数ある中
   でこの三つを選んだ。

<第三の文化宗主国アメリカ>

鈴木:三番目は大東亞戦争に負けた1945年。ヨーロッパはもうだめだ、というので、
   ここで日本は文化宗主国を完全にアメリカに移した。

<英語と日本語のつきあい>

鈴木:日本語という一億二千五百万人が使う大言語と片や英語というこれまた世界の大言語
   とが、いま「言語干渉」という大激突を起こしている。

?自己植民地化した日本語>

鈴木:さきに申し上げた三つの文化宗主国によって、一度も直接な共生を受ける立場になくて、
   むしろ自発的にあれを学ばなくては自分の国は今に亡ぶぞ、と自ら警鐘を鳴らすという
   立場で、こちらから進んで習いに出て行った。

<どうなるか、これからの日本>

鈴木:このところアメリカがぐらついてきたためにモデルにするところがなくなった。そして
   気がついたら、自分がモデルにされるような経済超大国になってしまった。その切りか
   えが、いまできない。

<沖縄体験の意味>:略
<新しい時代の波>:略

<日本語の役割>

鈴木:国際化が行なわれる中で日本が言語的に果たすべき重大な役割がある。例のG7です。
   G7は日本語対印欧語という言語的な対立と見ることができる。

<翻訳文化ということの意味>:略
<日本人のダメ意識>:略
<民族のアイデンティティ>:略

<「日本語教育」のあり方>

徳川:何百万人という外国の人が日本語を学ぼうとしているわけですから、これからは、
   表記の問題もそのことを考えなくちゃいけない。いわゆる「国語問題」としてで
   はなく、「日本語問題」として考えていかなくちゃいけない。

<国際化の中で変わってゆく日本語>

鈴木:外国人が日本語を使うようになると、日本にない彼らの言語背景によって、日本語
   がソトから
?刈り込まれるという現象が起こる。
    美しい日本語を世界に広めるっていうのは言葉の矛盾で、汚したくないなら箱入り娘
   にしておけばいい。だから、今に日本語は見る影もなく変わりますよと、そしてそれ
   が当然のことで避けられない運命なのだということを覚悟しなくてはならない。

 

6 鈴木達三(1994)「国際比較調査の事例から「日本語の国際化」を考える」日本語学13-12 明治書院 pp.4359

・研究の目的:国際比較調査の事例から、質問文の言語間の同等性と日本語の国際化を
       結びつけて考える。

 外国人学習者にとって、到達目標である共通語が国際的にみて、理解しやすいものでは
ないとすると困ったことになる。日本語の国際化をはかるために第二の共通語をさぐる方
策を考えることが重要になってくる。

 国際比較調査における日本語の質問文と比較対象となった社会(国)の質問文の翻訳・
再翻訳の過程の検討、吟味検討調査により、日本人のものの考え方と他の社会の人のものの
考え方との同異を考える際の一つの素材を示す。

 質問内容における発想そのものが日本的ということになった場合、翻訳→再翻訳の時に
質問の意図がうまく伝わらない問題が生じる。言語上の同等性が日本語の国際化を考える
ときの留意事項の一つと考えられる。

 翻訳の適否を吟味検討する調査の一例として、日米比較調査が挙げられるが、ここでは
ハワイの日系人で日米両語を理解するグループを2つに分け、一方の組に英語調査票で、
他方の組に日本語調査票で面接調査を行っている。また、日本語調査票と英語調査票を用
いて、実際に一般の人々に調査する場面で、どのような問題が生じるか検討するため、日本語
・英語の両方を理解できる大学生のグループに対して、比較調査を実施している。

 翻訳時の問題点を踏まえ、(一)程度を表す副詞の有無、(二)何かと比較するときの比較
の対象を質問文の文中にいれるかどうか、(三)日本的色彩をもつ質問文の文章をふつうの説
明文でおきかえる、(四)意訳、翻案の程度の強い質問文を直訳調の質問文に戻してみるなど
の検討事項が調査計画に含まれ、日本調査において翻訳に近いA型と元の形のB型調査が実施さ
れている。

 母語とその社会の「ものの考え方」あるいはその社会の人が無意識のうちにそなえている常識
との関連、および外国語としての日本語の位置づけは、多元的な国際比較調査を積み重ねること
によって次第に明らかになってくるものと考えられる。

7 田中望(1994)特集-国際化する日本語「われわれの日本語」 日本語論2-7 
山本書房 pp.6672

目的:国際化時代における、「われわれの日本語」の在り方を考える。

1.日本語教育パラダイム

 「外国人に日本語を教える」ということに、日本で活動するのならば、日本語を習得
してからにしてくれ、という排他的な考え方が潜んでいないだろうか。日本にはそういった
「日本語教育パラダイム」という考え方が隠れているように思われる。

2.「われわれの日本語」

 コミュニティに現実としていろいろな人がいるのと同様に、いろいろな日本語があるし、
「日本語」の一般論も一枚岩の「われわれの日本語」もありはしない。

日本語教育パラダイムを越えて

われわれのすべてが「われわれの日本語」に疑問をもち、自分の日本語もどこかで
「障害日本語」であるかもしれないことを意識化していくことが重要である。そのこと
だけが日本語教育パラダイムに代表される危険な国際化に抵抗していく道だと思う。

「われわれ」というときには、何かを排除してしまう危険がつねにある。「われわれの
日本語」も外国人の日本語や障害日本語を排除しがちである。しかし、自分の日本語の
外国人性や障害性に目を向けることができるのであれば、日本語はまた「われわれ」と
「異なる者」を結びつける道にもなる。

8 徳川宗賢(1991)「日本語の危機」国語学164 国語学会 p.77

1945年の日本敗戦に際して、占領軍は直接統治を行うことを予想して、いくつかの
布告を用意していた。その「布告第一号には日本の行政、司法、立法共に占領軍の軍事
統制下に置かれることが明記され、日本政府の官公吏はすべて司令官の命令に服すべき
ことが決められていた。また興味深いことには英語を公用語とするという一項もはいっ
ていた。」これは大蔵省財政史室編『対占領軍交渉秘録・渡辺武日記』
(昭和58331日、東洋経済新聞社発行)673ページからの抜粋である。


・占領軍は、日本の公用語を英語とする方針だったのである。この事実は、すでに指摘
ずみのことだったかもしれないが、あまり知られていない敗戦時の注目すべき一断面と
考えて、あえて紹介することにした。


・占領軍は間接統治の方針をとることにしたため、結局は日本本土における公用語が
英語となる危機は避けられた。もっとも奄美・沖縄地方に関しては本土で沙汰やみに
なった軍票が現に流通していたのであるから、公用語についても別の事情があったの
かもしれない。この件をめぐっては、なお情報を集める必要があろう。


・最後に渡辺武氏について簡単に紹介する。1945823日、閣議で政府内に終戦事務
連絡委員会を置くことがきまり、大蔵省では当時企画課長だった渡辺武氏がその担当者
になったという。ついで省内に終戦連絡部が発足し、福田糾夫部長のもと、渡辺氏は同
部次長となった。つまり大蔵省の対連合軍司令部折衝の第一線にあったことになる。そ
して1946528日吉田内閣成立と同時に同部長となり、19527月駐米特命全権公使
に転ずるまで、その職にあった。

9 J.V.ネウストプニー(1995)「近代化を超えて
−日本語のポストモダンへの歩み−」月刊言語vol.24 no.9 大修館書店 pp.7683

目的:戦後50年の間に起きた日本語のパラダイム・チェンジを検証する。

1.日本語の近代化

・近代化と国語改革:戦後の言語は、まだ完全な近代語とは言えないものだった。まず、
書き言葉が難しすぎて、一般の人の社会参加を妨げていた。戦後、「現代仮名遣い」、
「当用漢字」などの国字改革が実行され、日本語の近代化が進められていった。


・近代的話しことばの誕生:近代的なネットワークの中で育ってきたのは、一人対一人の
場合のコミュニケーションの点火ストラテジーや話題の取り上げ方、非言語的なコミュニ
ケーション、また中立的で近代的な話しことばであった。


・書き言葉の近代化:戦後直後の文学の言葉は近代的なものではあったが、話し言葉に近
くて、文学作品や戯曲を書くことがいまだ困難だったということである。1960年代から
1970
年代に、明治から始まった「言文一致」が、文体のレベルでようやく完成するに至った。

2.日本語のポスト近代化

・パラダイム・チェンジ:近代語としての日本語は、1960年代から広く使われはじめたが、
1980
年代にさらに言語のパラダイムが揺れはじめ、種々の方面でことばのポスト近代化が
表面に現れるようになった。


・国際化:日本国内において、近隣諸国の言語の学習者が増えている。そして外国人と
コミュニケーションに対しては、ある程度の関心が認められる。しかし、国際化はさらに
発展する余地が残されている。 日本語教育においては、1970年代後半から徐々に日本語
教育への取り組み方が変わり、日本語国内での「外国人問題」の解決への道具として考え
られるようになった。


・国内のバリエーション:日本には、日本語以外にアイヌ語と朝鮮語の二つの主な言語が
あるが、この意識は一般的にはまだかなり弱いようだ。国内のバリエーションのもう一つ
の側面は方言である。最近反方言意識はなくなったようであるが、共通語化のプロセスが
止まったとも言い切れない。


・識字と差別:10パーセント程度の機能的非識字者は、すべての発展途上国に存在するだ
ろうと考えられるようになり、適切な対策が練られている。女性語の中で終助詞の変化が
見られ、男性語に近い用法になってきたようだが、全体としては、男性とは異なるコミュ
ニケーションをするという期待が強く、アメリカのような徹底的な変化は見られていない。
言葉による差別においては、欧米のように性差別や年齢による差別ではなく、被差別集落民、
身体障害者に注意が向けられている。


・これからの展望:欧米におけるポスト近代化の見通し、とりわけエスニック言語の
権利と、女性の言語権利を確認するということは、少なくとも日本の社会言語学者の間
では、ポスト近代化のプログラムとして存在している。

10 真鍋一史(1994)「外国における日本語−日本語の国際化を考える指標−」
日本語学1312 明治書院 pp.3542

1.はじめに

 「外国における日本語」という現象が現れてくる具体的な場面は@日本語が日本
から送り出される側面と、A日本語が外国によって取り入れられる側面に分けられ
る。ここでは、この二つの側面を区別しながら、それぞれの側面ごとに日本語の国
際化を考える指標を提示するとともに、そのような指標に対応する具体的な事例を
見ていくことにする。

2.日本から送り出される日本語

 この側面については、@凹型⇔凸型、A普遍主義⇔特殊主義という二つの軸を取
り上げる。まず@の軸については、日本の国際交流の型がこれまで凹型であるより
も、凸型であった。つまり、文化や情報について発信よりも受信により熱心であっ
たということである。

次に、Aの軸については、この特殊主義の意識を「培養」してきたものの一つが、
いわゆる日本「人・社会・文化」論の系譜であった。それは、日本「人・社会・文
化」論が諸外国との共通点よりも相違点に目を向けてきたということであり、そこ
で日本人は、日本語は、「特殊である」という命題が広く浸透していったというこ
とである。

3.外国において取り入れられる日本語

 この側面については、@手段的受容⇔完結的受容、Aエリート主義⇔大衆主義と
いう二つの軸について考察を加えておきたい。

 @の軸の手段的変容の側面については、F. クルマス教授の「日本語学習者の数が
ここ10年で世界的に見て4倍になったのは、日本がすべての大陸の多くの国々にとっ
て重要な通商相手となった事実を直接に反映するものである」という興味深い分析が
ある。完結的受容は、日本語を受容すること自体でその人の行動が完結してしまうよ
うなパターンであるといえる。たとえば日本語を他の何の目的ももたないで、おもし
ろがって見たり、聞いたり、使ったりして楽しむ、そのこと自体が目的で、それで終
わってしまうというパターンである。それはいわゆる「従属理論」が成り立つといえ
るのであるが、それがさらに「文化」の領域にまで広がり始めているのではないかと
いう議論である。

 Aの軸については、なによりも国際交流の型が大きく変化してきたことを射程に入
れなければならない。以前はひとつかみの特定の選ばれた人たちが国際交流に携わっ
たが、現在はごく普通の人たちが関わりを持つようになったことである。そして、そ
のような日常生活上の行動の中でも「買い物行動」が重要な位置を占めるようになっ
てきた。調査によって、外国の大学生が「日本商品・製品」の購入という形での対日
接触を経験しているということが明らかになった。つまり日本語が広く海外の大衆と
どのような領域で出会うかというと、それはやはりマーケティングの領域にほかなら
ない。

11 水谷修(1994)「日本の国際化・日本語の国際化」日本語学1312 
明治書院 pp.410

1.「国際化」とは

 日本語の辞書の記述の中には、「国際的なものになること。世界に通用する
ようになること(『日本国語大辞典』)」と書いてあり、積極的な姿勢を示し
た言葉であるとはしていない。「国際化」の概念に、「国際的になる」という
だけではなく、「国際的にする」という積極的な考え方を取り込む必要がある。

2.国際化と日本語

海外への日本語の普及という言葉が、侵略的イメージと結びつく危険性がある
ので使用を避ける傾向があるが、誤解を招かないように日本語の普及活動を行
うことが懸案である。

3.国際的であることとは

日本語による国際コミュニケーションが重要だという理由は、国際化が共通化
への志向を求めやすいことに対して、個別の文化の存在こそが、国際的である
ことの重要な条件だと考えることにもある。共通化していく方向に対して、既
存の社会の現実を重視せよというだけではなく、共通化が作り出す人類総心中
の危険性に対して、異なった人間の知恵や可能性を提供し続け得る機能として
個別文化の存在を国際社会の中にちゃんと位置づけ、保持していく必要がある
と考えるからである。

4.日本語の国際化

 最近、カタカナ言葉の勢力拡大が目立っている中で、変化する日本語をどう
するかという課題がある。カタカナ言葉の功罪については、いろいろな意見が
出されているが、問題は入ってくるものを排除するか、積極的に取り入れるか
というところにあるのではないような気がする。自分の文化、自分の言語が確
固たるものとして保持され、その上で外来のものを取り入れるか捨ててしまう
かを決めていくことのできる基本的な姿勢にあると考えられる。持っているひ
とつのものを大切にし、それをより確実なものとして磨き上げた上に第二の文
化や言語を積み上げていくことが重要であろう。

12 水谷修(1993)「何のための日本語教育か」月刊言語 vol.22 no.1 
大修館書店 pp.2229

目的:多様な日本語学習の目的の中から典型的な例をとらえて、できるだけ「べき論」
   を排除しながら問題点を追い求めていく。

1.だれのための教育か

 国語教育は日本人のための日本語の教育、日本語教育は外国人のための日本語の
教育と便宜的に説明することがあるが、この区分けは適切とはいえない。海外から
帰国した子女や、中国残留日本人孤児の例もあり、日本語教育が「外国人のため」
ではなく日本語を母語としない人たちのための教育であるという考え方は重要である。

 学習者の実数からいえば、アジアが世界全体の9割を占め、さらに中国・韓国・
台湾は、アジアの中の9割を占めているが、現在の日本語教育の内容と方法がこれ
らの分布に応じておらず、多言語話者を一括して教育しているのが現状である。

2.何のための教育か

2.1 情報交流の経路:国際的なコミュニケーションの場でどの言語を使うかと
   いうことは、影響力のある人の言語観によって決められていくことも少な
   くない。英語などの媒介語を通さないで、日本語で情報を提供しようとい
   う海外での企業活動なども一部では始まっているようだが、一般的には、
   英・独・仏などの通念による国際語にこだわっている例が多い。そして、
   そのことが日本語によるコミュニケーション経路の開発を阻害している。
   日本語を使う可能性について、一歩突っ込んで実践を試みていくことを期
   待したい。


2.2 国際的責務としての言語保障:アメリカやいくつかの国では外国人が英語
   などを学ぼうとすると、無料で学習できる制度が用意されているが、日本
   にはそういった言語についての保障はあまり考えられていない。

3.何をするための日本語の教育か

・外交・会議のために:言葉が外交や交流の場で果たす役割は大きい。日本語を
用いる会議も多くなってきた。


・科学技術情報交流のために:円滑な科学技術交流のために、アメリカでも日本
語の教育が必要とされるようになっている。


・経済・貿易・生産活動のために:日本との貿易活動の中で、効果的な成果のた
めには、日本的な取引の方法や習慣を知る必要があり、そのために日本語を学ぶ
例が増えている。


・文化摩擦解消のために:日本語は文化を支える基盤の要素としての機能を持ち、
文化の問題を解明する大きな手がかりとなる。

13 宮島達夫(1991)「日本語教育研究ノート5 言語的不平等と日本語教育」
日本語学101 明治書院 pp.8090

1.言語的不平等と言語間不平等

 ハドソン『社会言語学』は、言語的不平等の種類を言語的偏見、言語能力欠如、
伝達能力欠如の三つにわけて説明し、同一の言語を使う社会のなかでの階層差を取
り上げているが、言語間の格差に関しては、触れていない。

2.研究環境と英語

 要約誌によってパーセンテージを計算した資料(R. B. Baldauf B. H. Jernudd
ただし工学は一九六五年だけ。表一参照)によると、十六年間に、科学文献中での英語
の比率はどんどんあがって、七−八割をしめるまでになり、ほかの言語は地盤沈下して
いるのがわかる。こうなると、多くの科学者に読んでもらうためには、いやでも英語で
書く必要がある。このように科学文献における英語の独占状態が不公平なことは明らか
である。

3.英語の経済力

 英語が普及したのは、英語を話す国々の政治的・経済的な力によるものである。
しかし、ポンドとドルの力で国際語になった英語は、今度は逆にポンドとドルを
稼ぎ出すようになった。

 『世界商品としての英語』(McCallen)というレポートのなかには、世界の郵便の
70%、電子情報検索システムの80%は英語でまかなわれている、イギリスを訪れる英
語学習者からの貿易外収入は五億二千万ポンドで、観光業の一割、映画・テレビの倍
近くになるなど、いろいろ興味深い指摘がされている。

 金に換算できる側面等、言語にとって本質的なことではないはずだ。現実に存在す
る便利と不便の不平等、学習に費やされる努力と時間、たどたどしく話すときの屈辱感
これらはどうにもならない。しかし、慰謝料ということもある。言語間の不平等をすこ
しでもへらすために、言語で得をしている国は、損をしている国にたいして、何かをす
べきだろう。たとえば、外国語学習の出費は、学習される言語の側が持つことにすれば
いい。

 こんな案がすぐに実現する可能性はないが、問題は心構えである。現状が不平等・不
正なものだという認識がひろまれば、解決へむけての努力もはじまるだろう。

4.日本語教育の発展と言語的不平等

 現在、日本語産業といわれるくらい、学校・出版その他の職業がうるおう時代に
なった。

いまや日本語をめぐっておこり、日本人は逆の立場にたっている。いわゆる日本語
の国際化や、日本語学習者の増加を、手放しで喜ぶわけには行かない。

 学習者に一方的に負担をしいる、いまのやりかたは、公平さを欠いている。この
不平等をなくすためには、一方で、すこしでも学習の負担をへらすために日本語教育
に力をいれること、他方では、英語やドイツ語ばかりやらないで、朝鮮語・タイ語・
インドネシア語などの学習をすることである。

14 井上史雄(1995)「日本語の戦後史−日本語市場価値の変動−」言語24-9 
大修館書店 pp.6875

1.目的:戦後の日本語の市場価値の変動と市場価値を決定する要素について考える。

2.「言語市場」という考え方

 現実には言語間の格差が存在し、「市場価値」によって説明される。以下では、
経済力によって日本語の市場価値を説明する試みを提示する。

3.日本語使用の増加

 国内の外国人の増加、海外での日本語の表記の増加は一般的に認められる事実である。
日本語学習者数と日本の国民総生産のGNPなどの経済指数の相関関係を探ってみる。

4.日本語学校の創立と廃校

 各種の資料とデータに基づいて傾向をみると、1980年代から学校数が急増するが、
ほぼ1990年をピークに、以降は新設が減っていることがわかる。日本の経済発展を
背景とし、ブームに乗って開校したが、1990年のバブルの崩壊の影響によるもので
あろう。

5.日本語学習者数と国民総生産

 日本語学習者数と国民総生産の伸び率をみると、1980年代前半まではかなり一致
しているが、その後の傾向としては、学習者・留学生・学校の数の増加率の方が大
きくて、GNPの数値の伸び率と一致していないので、すべてを日本のGNPで説明する
のは短絡的である。

6.世界の言語教育拡大傾向

 世界全体の中での共時的位置づけをみてみると、世界各地でほかの外国語も学習
者数の増加が見られており、日本語の学習者はほかの言語と対比して増えている可
能性もある。よって、日本の経済発展だけが支配要因ではなく、むしろ外国の言語
教育事情がからむ。

7.言語における集積の利益

 人口が都市的地域に集まるのは「集積の利益」があるからであり、外国語として
習得する言語について、その集積の利益は大きい。現在の日本語はアジア・オセア
ニア諸国で増加率が多いが、英語を中心とした諸言語の学習者数と対照させて考え
るべきである。

8.言語市場の理論へ

 経済原理で言語学習者の増加を考えるには、より多くの言語で観察する
必要があり、今後プロジェクトの「新プロ・日本語」を通じて、世界的に
把握することができるであろう。