V.日本語の習得に関する研究

1 石橋千鶴子(1995)「高校における外国人留学生の日本語習得
−外国語学習に示唆するもの−」愛知淑徳大学論集20 愛知淑徳大学 pp.1527

1.目的

 第2言語学習環境において、何が言語の習得を促すのか。この要因を分析する
観点から、留学生の第2言語学習の目的、言語学習環境、そして授業の役割について論じる。

 2.日本語の学習目的

 殆ど英語圏からやってくる愛知淑徳高校の留学生は、1年足らずで周りとの
コミュニケーションができるようになるが、それは目標言語環境内に暮らして
学んでいることと、学習目的がコミュニケーション能力の獲得であること、その
2条件が言語習得の促進要因であると思われる。

3.言語学習環境

留学生の日本語学習環境の何が言語習得を促すことになっているのであろうか。

3.1 教室での指導:文法学習は環境を最大限に生かせるように、文型練習は
   最小限にとどめ、実際の会話の中で使うことにより文法の運用力を高め
   ることを目標とする。

    リーディングでは、大意を把握することに重点を置き、訳読は行わない。
   ライティング学習では、口頭作業でトピックスについて話し合い、書い
   ていくという手順を取る。

3.2 多量のインプットとインターラクション:留学生は言語知識と文化知識
   のインプット及びリラックスした状況でのインターラクションが多量に
   得られる環境に置かれており、急速に言語習得が促進される。

3.3 情意環境:留学生は、基礎的コミュニケーションができるようになれば
   いいわけであるから、学習に対する不安、緊張は非常に少なく、言語学習
   を容易にする条件が十分に備わっている。

4.日本語授業の役割

教室指導は大人のL2学習者の言語知識を促進させるものと思われる

5.むすび

 以上のことから外国語学習への提案として、次のような学習条件を挙げること
ができる。

1)現在のレベルより少し上の、理解できるインプットの量を増やす。
2)情意フィルターを低くする。
3)コミュニケーションを通して言葉のやり取りの量を増やす。
4)教室での文法学習で文法規則を意識化する。
5)目標言語の文化的背景知識を増やす。
6)読み、書きの学習も初めから継続的に行う。
7)目標言語と将来との関わりに関する目標をはっきりさせる。


2 エレン・ナカミズ(1997)「日本語における切り替えの習得段階
−ブラジル人就労者の例−」阪大日本語研究 9 
大阪大学文学部日本語学大講座 pp.7794

研究の目的
 在住ブラジル人就労者を対象とし、とりわけ自然習得でのインプットが既に進んだ
時点で学習をはじめた人のスタイル切り替えの習得を明らかにする。

研究調査の概要
 ブラジル人話者と日本人話者との談話録音調査のデータをとりあげることにする。

1:ブラジル人話者の属性      表2:来日以前の日本語能力

 

性別

年齢

 

 

会話

聴解

正式学習

BI

33

準一世

二世

 

BI

×

×

BA

24

非日系

準一世

 

BA

×

×

×

*準一世:学校教育を受ける前に移民した人   ×=ぜんぜんできない、△=少しできる、○=よくできる

3:来日後の日本語使用状況

 

日本滞在期間

正式学習

職場内

職場外

BI

18ヶ月

5ヶ月

 上司

 同僚

ボランティア

テレビ(聴く)

BA

49ヶ月

16ヶ月

 

ブラジル人話者2名が参加した「職場内」の場面と「職場外」の場面においての20分程の会話を録音し、インフォーマントがそれぞれの会話で使用したスタイルに焦点を当て、切り替えのプロセスを分析した。

 

3.結論

 ブラジル人話者は習得の早い段階から「職場内」と「職場外」の、それぞれの異なるスタイルに気づき、自分からも積極的にスタイルを切り替えるようになることがわかった。こうした切り替えは主に「普通体」と「丁寧体」及び「標準語形式」と「方言形式」の、双方の使用パターンに現れた。その切り替えのプロセスには話者のそれぞれのバラエティに対する意識が潜んでおり、その意識はボランティア場面からのインプットが多くなるにつれ、変容していくと思われる。

 切り替えのパターンは最終的に日本語母語話者のそれに似てくるのではないかと予測される。ただし、その切り替えがどの段階まで進むかは話者によって、また言語形式によって異なると考えられ、文末助詞の「ネ」・「ナ」の場合で見られたように、中間言語的な段階に留まることがある。各話者の切り替え習得・状況を正確に把握するためには縦断的な調査の継続が不可欠なものだと思う。

3 エレン・ナカミズ(1998)「ブラジル人就労者における日本語の動詞習得の実態−
自然習得から学習へ−」阪大日本語研究 10 大阪大学文学部日本語学大講座 pp.83110

1.研究の目的

 横断的な観点と縦断的な観点から、ブラジル人就労者の動詞習得及び使用における
諸特徴を浮き彫りにしたい。

2.分析の進め方

 「職場内」と「職場外」の場面に分け、定期的にそれぞれの場面における、ブラジル人話者(BIBABM:来日後同様な条件の下で日本語のインプットが行われてきた)と日本人話者との自由会話の録音文字化資料を分析のデータとした。さらに、3名のインフォーマントにおけるデータと対比するために、調査者が予備調査の段階で録音した、一切学習せずに日本語を自然習得した話者BNの会話も補充データとして併せる。

1:ブラジル人話者の属性

 

性別

年齢

学歴

滞在期間

居住地

母語話者との付き合い

職場内

職場外

BI

33

準一世

二世

大学卒

18ヶ月

滋賀県栗東町

上司・同僚

ボランティア

BA

24

非日系

準一世

大学中退

49ヶ月

滋賀県栗東町

上司・同僚

ボランティア

BM

25

二世

二世

高校中退

5

滋賀県甲西町

上司・同僚

同僚

BN

40

非日系

非日系

高校卒

4

大阪町

上司・同僚

3.結論

 自然習得の初期段階では、時(temporality)の表し方が動詞のテンス・アスペクトによって文法化されるとは限らない。動詞を脱落させたり、名詞を並列することが、特にBMの発話に多く現れた。前後の文脈からその発話の時間的な位置づけがわかるわけである。習得者は文法より語用論的なストラテジーを用いるのである。

 習得の早い段階から「vる形+?」と「V未然形+ナイ」が基本形としてインプットされ、ブラジル人話者は過去の出来事もこれらの形式を用いて表す傾向が全体的に多少うかがわれた。学習が進むにつれて、話者はこれらの形式を「Vタ形+?」と「V未然形+ナカッタ」に入れ替えるようになる。

 「普通体」と「丁寧体」の使用に関しては、前者が自然にインプットされた基本形であり、後者はボランティア場面で習得されたと思われる。また、BIBAの場合は、場面や話し相手による両形式の使い分けという社会言語能力の一側面が見られる一方、BMは両形式を用いるにもかかわらず、このような使い分けはまったく見られない。ここでは、正式な学習の有無が主な要因になっていると思われる。


4 鎌田修(1993)「(新連載)日本語教育における中間文法@:正しい誤用、誤った誤用」月刊言語 vol.22 no.5 大修館書店 pp.8889

目的:12回のシリーズで日本語教育における中間言語、中間文法とはどんなものであるか、実際のデータをもとに考えていく。

・以下のフランス人学習者Fの発話の下線を施したところに焦点を当てて検討してみよう。

F:「はい、でも大きい会社には去年三石(注「三菱石油」のこと)で研修しました。(部長とのインタビューしました)……この人の奥さんは、ま、今、たくさん文句言います。ヨーロッパで生活はもっと楽しかった。だから、いつも、ま、おかの人は全然……」

1)「には」は「の」に変えるか、「でしたが」等、に変えて文全体を整える。(2)「文句」の後に助詞「を」を添える。(3)「言います」、「楽しかった」は伝聞の「そうだ」などに導かれなければならない。(4)「おかの人」は「ほかの人」に訂正。こういったことで、誤用修正が完了しそうである。


・しかし、これで十分だろうか。果たして、これらの「誤用」はこの時点で修正すべきなのだろうか、ひいては、こ れらは本当に誤用なのだろうか、とさえ思われる。実際、「おかの」は/h/が落ちているための誤用だが、「は い」などの表現ではしっかり発音されていて、何ら問題はない。(2)の部分も日本人の自然な会話のなかでは現 れないのが普通ではないか。断片的でしかないFの発話には、実は、日本語教育上難解だが、非常に興味深い問題 が多く含まれている。
・学習者の母語の構造と目標言語の構造を比較することで、学習者がどんな目標言語を発話するかを予期しようとす る比較研究(Contrastive Analysis)では十分説明できない現象がここにはっきりと見られる。ここで、学習者の 中間言語の形態を母語と目標言語の構造に照らし合わせて分析する誤用分析(Error Analysis)の必要性が出てく るわけである。
P. Corderは学習者の生成する第二言語はそれ自体規則性を持ち、言語学的に記述可能なものである、という中間 言語仮説を打ち出した。そして、誤用は言語発達には、必要不可欠なものであり「誤用」という呼び方も誤ったも のだという。この仮説の立証、そして中間文法の記述のための研究は主に英語を対象として、膨大な量で行われて いる。日本語を対象としたものは、緒についたばかりであるが、最近徐々に増えてきた。
・日本語教育における中間言語はどんなものであるか、読者の皆さんと考えていきたい。

5 鎌田修(1993)「日本語教育における中間文法A:中間言語のもつ流動性」月刊言語
 vol.22 no.6 大修館書店 pp.114115

目的:日本語学習者の発言に見られる、第二言語の発達の状態及び中間言語の流動性と
   第二言語習得研究について考える。


 以下は、ある先生にインタビューをしてその結果を報告した会話データである

AC先生、始めと終わりの意見はちょっと違います。始め、C先生は自分、英語で話すときに同じ人です。パーソナリティが変わりません。

B:始めに、あのう、LさんがK先生に、あのう、なぜ日本語を教えてらっしゃいますかと聞いたら、K先生が最初は日本語の先生になる目的がなかったとおっしゃってました。最初は大学は国語学の専門として助詞、日本語の助詞が段々なくなってきたという傾向について論文を書きました。

ABは英語を母語とする日本語学習者である。ABの日本語能力には明らかな差が見られるが、
それは、(1)どう違うのか、(2)なぜ違うのか、(3)どのようにそうなるのか、というこ
とをここで考えてみたい。


1)統語面で、Aは単文レベル、Bは複文レベルの日本語生成能力がある。さらにAは知っている
   語彙を並べ立てているが、Bは「あのう」を使い、文と文を繋いでおり、かなりの談話能力
   を備えていると言える。また、Bは先生に対し、適切な敬語を使用している。

2ABの学習歴をみると、Aはアメリカだけでの学習1年。Bは日本での生活を含めた3年の
   日本語学習であり、量的にも質的にも違いがある。しかし、年齢、学習動機、学習方法
   などの様々な要因が考えられる。

3)学習者の言語はどのように発展を遂げるか。その発展は日本語母語話者の能力にまで達
  するのか、発展の仕方は学習者それぞれに共通するのかという問題は第二言語習得研究の
  根本的な課題であり、非常に興味深い。

日本語学習者は特に学習初期に急激な変化を見せる。ABの日本語は固定されたものではなく、
ある部分に変化が起きれば、それが他の部分へ浸透し、全体的な発展を遂げるという性質を持
っている。中間言語の持つ流動性をパーミアブル(Permeable)と呼ぶ。さらにダイナミック
で、かつパーミアブルな中間言語はそれでいて、システマティックでもある。

6 鎌田修(1993)「日本語教育における中間文法B:「―て形」の習得過程」月刊言語 
vol.22 no.7 大修館書店 pp.114115

目的:「―て形」の習得過程を取り上げた研究から、第二言語習得研究における横断的方法のあり方を考える。

H:早く終わる友達に、あのう、会いて、会って、あのう、あの、国際化について話してください、と言いました。(チェコ語話者)

O:まあ、ちょっと見て、ちょっと、聞って、……他の方はしますから。(フランス語話者)

・動詞の「―て形」は非常に生産的な形で、日本語教育においても初級から導入される。
・「―て形」習得研究(坂本正『日本語教育』)を通じて、第二言語習得研究の方法論、横断的方法を検討する。・坂本は準中級の学習者22名、中級39名、準上級14名、上級7名を対象(全員英語を母語とする)に、初・中・上級 レベルに該当すると判断できる動詞をそれぞれ10ずつ選び、それを「辞書形」と「―ます形」で示し、それから「 ―て形」を作り出す調査をした。その結果、どのレベルの学習者にも共通して、「聞く、急ぐ」等から「―いて、 ―いで」の形を導く規則が最も難解で、次に「出来る、会う、混じる」等から「―て、―って」を導く規則が難解 なもの。そして「話す、持つ、頼む、叫ぶ」等から「―して、―って、―んで」を導く規則が最も容易だというこ とを統計的に有意義なものとして示した。
・この坂本の研究は次の前提でもって成り立っている。まず、ある学習者の第二言語発達過程はほかの学習者と基本 的に同じ過程をとる。したがって、言語能力を異とするほかの学習者と比較することで言語発達過程の観察が出来 るということである。そして、個人差を極力少なくするため、同じ能力レベルの学習者何人かとそれとは違う能力 レベルの学習者何人かをまとめて比較するという方法をとる。これが横断的研究と呼ばれるものである。
・しかし、こういった研究の言語能力レベルの認定とそれに基づくグループ分け、調査方法などの妥当性は常に問題 となってきており、横断的研究に対する注意を反映している。

7 鎌田修(1993)「日本語教育における中間文法C:「―て形」の習得過程(2)」月刊言語 
vol.22 no.8
 大修館書店 pp.108109

目的:日本語学習者の習得研究の方法の一つである、縦断的研究方法のあり方を検討する。

・タイ留学生Aの作文日記より

11224日 今日はけさ六時半におきて、牛にゅうを飲んで、八時に家を出て、バスにのって、えきへ行った。

2)翌年19日……三時ごろわたしの友だちは来て、いろいろな話をして、コーヒーを飲って、四時に家を出た。……

 (長友一九九〇のデータ)


・このタイ留学生A1224日には正形を使用しているが、約2週間後には誤用を行っている。
 今回は長友和彦1990「誤用分析研究」の一部)を参考に、縦断的習得研究を検討する。

・長友は日本語学習約3ヶ月の学習者(10人)と約4ヶ月の学習者(10人)による日記文を
 比較し、前者は、正用、誤用が混じる段階、後者は「−て形」が完了した段階と判断した。
 さらに形容詞の過去形の習得においても、前者の作文から正用と誤用の混同が見られるが、
 後者の作文には正用のみ見られたと述べる。「―て形」習得にしろ形容詞の過去形習得に
 しろ、学習初期に規則の単純化や拡大解釈による誤用と正用の混乱期が続き、学習時間
 400時間ぐらいで、それらの習得が完了するのではないかという仮説を立てた。

・第二言語習得の研究方法には基本的に横断的方法と縦断的方法がある。横断的方法によると、
 短時間のうちに研究  結果が得られ、一般化が可能な点で、多くの中間言語研究が横断的
 方法を取っているが、外国語能力レベルの決め 方、学習者間の個人差の無視など色々な
 問題を持っている。一方、縦断的方法では学習者個人の習得過程を時間経路を経て詳しく
 観察するが、一般化が難しく、そのため、この方法による研究は極端に少なくなる。

・長友の研究は厳密な意味では縦断的研究ではなく、横断的方法と縦断的方法が混じったも
 のと見られる。よって、 100時間学習を続ければ習得できるという保障はなく、一般化が
 難しいという点で、1週間に一度習得の状況を調べるというような縦断的研究が必要とされる。

8 鎌田修(1993)「日本語教育における中間文法D:母語の役割(1)」月刊言語 
vol.22 no.9 大修館書店 pp.114115

目的:第二言語習得研究にとって、母語はどんな役割を持つのかに関して検討する。

W(中国人学習者)の作文:「鳥取研修旅行をしたことは、一週間前のことです。しかし、今はあの日を回顧してまだ昨日のようです。……」

E(アメリカ人学習者)の発話:「バーガーさんの話によると、ヘブライ語が一番易しいからヘブライ語が英語より話しやすいです。……」



50年代LadoFries等により、言語習得は習慣形成からなるとし、母語の構造は
 外国語に転移されるという考え方が広まった。そして、母語と目標語の「違い」
 からくる「干渉」 をもとに、どんな転移とエラーが生まれるか「予測」できる
 という「比較分析」が展開されたが、60年代中頃からこの「予測」が必ずしも
 当たらないことを根拠に、中間言語の記述、説明の研究発表がなされるように
 なった。中間言語の記述を行う第二言語習得研究における母語の役割は、何を
 意味するのかが今回と次回のテーマである。

・上記の(1)と(2)のデータは、それぞれ母語である中国語、英語からの影響を
 受け、不自然な日本語として表われている。

・しかし、(1)の例も(2)の例も足りない言語知識を埋めようとして、母語の力
 を借りるという一つの学習ストラテジーである。このことは、言語習得にとって
 大変自然なことである。

・このような母語からの「転化」は学習初期段階で顕著であるが、中間言語の発達と
 共に次第に姿を消していく。特に、中級、上級レベルの語彙、統語などの習得にお
 いてその傾向がはっきりしてくる。

・次回では一見この反例と思われがちな発音の問題を取り上げる。

9 鎌田修(1993)「日本語教育における中間文法E:母語の役割(2)」月刊言語 
vol.22 no.10
 大修館書店 pp.118119

目的:学習者の音声の習得と母語の影響を検討し、学習者の中間言語に対する日本語教師の認識
   について考える。

S(韓国人):昨日私のクラスの友達と、ま、自分の国について話しました。結婚と、結婚と将来、くんだいに行こうと…。

K(日本人):くんだい?

S:男の人は。

K:あー、ぐんたいに行くことね。

S:はー、ぐんだいに行くこと。


・韓国語母語話者は他の母語話者より早い成長を見せることはよく知られている。
 その理由として文法、語彙などの類似が挙げられ、「正の転移」が容易に起き
 るからと考えられている。しかし、音声面では「韓国語訛り」が抜けないとい
 う問題もあり、そこには「負の転移」がいつまでも続くという説明がなされる
 ようだ。今回は発音の習得という観点から母語の役割を考えて見る。

・韓国語、中国語などが「有気音/無気音」の対立を音韻体系の柱に据えているの
 に対して、日本語、英語などは「有声音/無声音」の対立で音韻体系が成り立っ
 ている。この違いは学習の初期段階で意識的に「指導」がなされるが、学習者の
 発話において、正しい発音の認識とその実際の発話とのギャップが生じるのであ
 る。そのギャップに日本人教師が気づかず、日本語の音韻体系でその発話を評価
 してしまうというケースが多くなる。その意味で上に見たインタラクションの流
 れは、いわゆる自然な談話に乗った言語習得過程を示し、どのようにエラーコレ
 クションを行うべきかという質問にも有意義な示唆を与えるものである。

・第二言語を話すということは、ある意味で、バス(第一言語)から電車(第二言語)
 に乗り換えて、目的地(コミュニケーションの達成)に向かうという行為に似てい
 る。母語である韓国語の音韻体系が目標語の日本語に影響を及ぼすのは当然のこと
 であるが、日本語という電車に乗っている以上、その車掌である日本語教師は、そ
 の乗客を目的地まで問題なく連れていく義務がある。最初は母語の影響を持った発
 話がなされるが、いずれ母語にも目標語にも見られないような中間言語の発展過程
 を経て、目的地へとたどりつくのである。

10 鎌田修(1993)「日本語教育における中間文法F:インプット/フォリナートーク」
月刊言語 vol.22 no.11 大修館書店 pp.114115

目的:フォリナートークとインプットの関係を通じて、言語習得のプロセスを考える。

全員女子高校生。くだけた談話―

A(日本人):アメリカはさあ、アルバイトをすごい奨励する、奨励じゃなくて、あのB

(日本人):すすめる

C(日本人):おすすめ

D(アメリカ人):リクエスト?

A
:そうじゃなくてね、えーと、アルバイトも学校がしてもいいよー、ていうふうに、言 ってくれる、許可、許可って言うか。

D
:あの、せんせーね、もーし、宿題がやらないとかいうのか、…(アルバイトについて は)何も言わない

第二言語習得において学習者はどのようなインプットを耳にし、それをどうプロセスするのか。上の例でAは「奨励」が適当でないことに気づき、他の話者の助けも手がかりに「アルバイトも学校がしてもいいよー」というパラフレーズに置き換えている。つまり、Dの日本語能力レベルに合わそうという計らいから適当な言葉探しが行われたと考えられる。

 S. Krashenは、大人の言語習得は習得(無意識な学習行為)と学習(意識的学習行為)の二面からなり、第二言語習得にとって大切なのは前者であり、後者は単にモニターの役目しかなさないという仮説を唱えた。理解可能なインプットを耳にしたときに言語習得が起こり、その積み重ねが言語能力の向上になるという。これらの仮説は厳しい批判の対象になったが、学習者にどのように文型を暗記させるかという技術ではなく、どのようなインプットを与えれば人間が生まれつき備えた言語習得能力にあった学習が進むのか、という学習者中心の第二言語教育を開発するきっかけとなった。

 ある言語の母語話者と非母語話者とのコミュニケーションに見られる、非母語話者の能力レベルに合わされた発話をフォリナートークと呼ぶ。一般に、省略が少なく、具体的な言い回しや、単文的な構文が多くなること、などの特徴が挙げられている。

 英語など印欧語のフォリナートーク研究はかなり発達しているのに反し、日本語のそれはまだ始まったばかりである。同様に、ティーチャートークの形態研究についてもまだまだこれからの課題となっている。

11 鎌田修(1993)「日本語教育における中間文法G:個人差」月刊言語 vol.22 no.12 
大修館書店 pp.120121

目的:第二言語習得における個人差という問題を考える。

●GCともにアメリカ人初級日本語学習者。初級後期の会話面接試験―

G24歳):あのう、土曜日、12時頃まで寝ました。お昼ご飯を食べました。本を、あー、読みました。それから、あのう、夜7時頃友達のパーティーに行って、ビールをたくさん飲みました…

C18歳):あー、あー、どよび、たっくさん寝ます。どよび、ちょっとしません…

L. Selinkerは第二言語習得における「化石化」は中間言語発達にとって避けられないと述べている。その上、化石化の時期、形には大きな個人差がある。先に見た二人の日本語学習者も同じ学習環境で同じ教室学習時間をかけたにもかかわらず、日本語習得能力に大きな違いが出ている。このような差は一体何から生まれるのだろうか。

まず、年齢。第二方言習得においてやはり13歳頃が完全な二方言話者になるか、ならないかの境であるようだ。ただ、この頃からの言語習得は学習の動機付け、目標言語や文化への同化意欲、それから、言語学習に対する適性が大きな差を生むこともわれわれは経験的によく知っている。

 第二言語習得研究はどのように「習得」が起きるかということを主たる研究課題とするが、どのような学習者が、あるいは学習方法が第二言語習得を最も効果的に進められるか、という課題も大切なものである。

 S. Krashenは、自意識などから来る緊張感が少ない子供は言語習得が早く、逆にそうでない大人は習得が遅くなると言う。これが、いわゆる「情意フィルター仮説」というものであるが、その検証性(testability)、さらに、年齢による言語習得の差が単に緊張感の度合いだけなのかという問題はさて置き、情意フィルターの状態が習得に影響することは事実である。昨今の新しい教授法、例えば、サジェストペディア、ナチュラルアプローチはこのことを第一に置き、大いに効果を出しているようだ。できるだけ個人差のない第二言語習得と教育の開発がますます期待される。

12 鎌田修(1994)「日本語教育における中間文法H:バリエーション」月刊言語 
vol.23 no.1 大修館書店 pp.122123

目的:学習者の発話及び作文に見られるバリエーションと習得の関係について考える。

インタビューにおける自然な発話―

B(中国語話者):私、映画を見る、み、見て、見に来たとき、切符を買う。一枚、一枚と言って、私、間違えて、(1)いまい、いまい、と言いました。その人は、(2)何?何?私は恥ずかしくなったですから、あのう、ねたんのみて、(3)一、六○○円のをください。はい、それに私はとても、恥ずかしいと思います。

同じ話者Bの作文―

私は映画を見に行きました。切符を買うとき、間違えて(1')いまい、いまいと言いました。映画の人は(2')何?と言いました。私は、恥ずかしくなったですから、ねたんをみて、(3')一、六○○円のを下さいと言いました。

1)は「と言いました」という伝達動詞で完結しているが、(2)、(3)は何らかの理由で伝達動詞が補われないまま、話が進行している。ところが、これらに相当する作文における(1')、(2')、(3')ではどの場合も「というアリ型」の正用になっている。このような言語事実は第二言語習得上どう説明されるのだろう。

 人間の言語能力には文法能力だけではなく、どのように言葉を使い分けるかを判断できる運用能力も備わっている。その能力により、フォーマル場面及びインフォーマルな場面での様々な表現を使い分けることができる。しかし、母語話者の能力と学習者の能力とでは、自ずと違いがでてくる。前者は社会言語学的能力が備わっている反面、後者の場合、何らかのハンディーを伴うことになる。

 上に見た中国語話者Bの場合、日常会話のようなカジュアル・スピーチでは「というアリ型」と「というナシ型」の発話が入り混じり、作文のようなケアフル・スピーチでは「というアリ型」だけのバリエーションを示す。

 E. Taroneによると、このような中間言語におけるバリエーションは最初は規則性のない自由変異から始まり、徐々にそのバリエーションの削除が行われるようになるという。とりわけ、カジュアル・スピーチにおける初期の自由変異は中間言語の発達と共に、ケアフル・スピーチにおけるバリエーションと同様、その場にあったバリエーションのみを使用するという選択の削除に向かうという。Bのカジュアル・スピーチ、ケアフル・スピーチの形態がその後どうなるかは縦断研究の成果を待たなければならないが、社会言語学と第二言語習得研究の非常に大切な接点を示す研究課題である。

13 鎌田修(1994)「日本語教育における中間文法I:学習者ストラテジー
(簡素化・回避など)」月刊言語 vol.23 no.2 大修館書店 pp.114115

目的:簡素化・回避などでみられる学習者ストラテジーについて、考える。

インタビューにおける自然な発話―

B(中国語話者):私、映画を見る、み、見て、見に来たとき、切符を買う。一枚、一枚と言って、私、間違えて、(1)いまい、いまい、と言いました。その人は、(2)何?何?私は恥ずかしくなったですから、あのう、ねたんのみて、(3)一、六○○円のをください。はい、それに私はとても、恥ずかしいと思います。

<前回と同一データ>

 神尾(1990『情報のなわ張り理論』)によると日本語には話者の領域に入る情報とそうでないものとを明確に区別する言語表現があり、その使用を怠るとコミュニケーションに支障を来たすことになるという。(2)、(3)は情報だけをむき出しにした、いわば、モダリティを削り取った形の「簡素化」された日本語表現となっている。このような現象はどう説明されるべきか、学習者ストラテジーの観点から考えてみる。

 学習者ストラテジーには学習上のストラテジーとコミュニケーション上のそれとがある。どのように言語習得を図るかという点に重きをおいたものが前者であり、言語知識の欠如を補うことによって、発話者がコミュニケーション上の障害を克服しようとする試みが後者に当たる。

 P. Corder1978)は第二言語学習のコミュニケーション・ストラテジーを、リスク回避型とリスク採択型の両極端をスケールにしたものと捉え、「簡素化」や「回避」は前者の現われとしている。「回避ストラテジー」は、中・上級の日本語学習者の日本語における受身構文などの回避にもよく観察される。逆に、出来る限り目標語で意思伝達を図ろうとする際に起きるストラテジーはリスク採択型ということになる。

 コミュニケーション・ストラテジーには、相手の言ったことが分からなかったときに、「もう一度言ってください」、「は?」、「すみません?」などと言い、もう一度言って欲しいという合図を出す方法や、ボディー・ランゲージに拠るものなどもある。

 日本語教育においても学習者ストラテジーやコミュニケーション・ストラテジーの面での新しい成果が、今後期待される。

14 鎌田修(1994)「日本語教育における中間文法J:OPI(会話能力の測定と習得)」
月刊言語 vol.23 no.3 大修館書店 pp.114115

目的:言語習得研究のおけるOPIの意義及び課題を考える。

会話能力試験の一コマ

テスター:(日本人の友達と)どういう話をします?

被験者B(中国語母語者):色々話するよね。中国の話するし、日本の今の話、雪降るとか、スキーとか。やっぱり夏のところは水泳とか、海行きますとか。そういう感じ。

テスター:もう少し具体的に言ってもらえますか?例えば、……

ACTFL(全米外国語教育協会)が研究・開発をし、日本語教育にも徐々に浸透しつつあるOPIという面接法による会話能力の測定と評価基準、そして、それと第二言語習得研究との関係を見てみる。

 上の例でのテスターの狙いは、被験者がどれほどの「記述力」を持っているか測定することである。OPIの原則は、被験者が面接の中でどの程度の突き上げまで耐えられるかという上限と、どの程度で楽に会話が維持できるかという下限を見定め、その会話能力を判定することである。その会話能力は「機能、タスク遂行能力」、「場面、内容の処理能力」、「文法、発音などの正確さ生成能力」、「談話構成能力」という四大要素からなると考え、その各々の要素において能力を測り、最後に総合的な会話能力を決定する。

 上の被験者Bは、比較的易しい機能を身近な場面で、外国人の日本語に慣れた人なら分かる正確さで文レベルの発話を行っており、「初級の上」辺りと判断できる。

 OPIは真の第二言語能力とは何であり、それがどのように発展するかを研究目的とする中間言語研究にとっても極めて有意義なデータを提供している。しかし、OPIは長年の経験からくる、いわゆる、ベテラン外国語教師の「イメージ」による能力評定の記述に基づいていて、その能力評定の断層が真に外国語習得のプロセスとあったものかどうかという検討はまだ十分なされていない。最近の日本語習得研究に、このような問題に答えるものが増えてきた点、とても喜ばしく思える。

15 鎌田修(1994)「日本語教育における中間文法K(最終回):中間言語研究への期待」月刊言語 
vol.23 no.4 大修館書店 pp.114115

・学習者言語は第一言語のように完成されたものではなく、発達途上にあることから、「中間言語」と呼ばれ、その言語習得過程を観察する研究分野を中間言語研究という。また、かつては学問、教養のために学習されるのが普通であった外国語が様々な理由で、異文化における生活言語として学習される場合が増え、「自然な」言語環境における外国語学習の観察も容易になってきた。

・このように母語の習得との共通面が見いだされる一方、それとは根本的に違う面も新たに認識され、様々な観点からの第二言語習得研究が展開されるようになった。すでに母語習得を終え、それとは異なる言語文化への移入を図る第二言語習得には、常に母語文化との関係が付きまとう。純粋な母語習得研究だけでは説明できない所以がここにある。大きな枠組みとしてはバイリンガリズムがあり、そこには言語学のみならず、心理学、教育学、社会学、人類学、統計学などが入り込み、この第二言語の習得過程が解明されようとする。

・このシリーズでは日本語教育の現場から実際に得られるデータを基に、できるかぎりケーススタディ的なアプローチで言語習得のプロセスや教授法、学習ストラテジー、研究方法等の問題提起を心掛けた。

・いずれにせよ、このように多様な分野に接触を持つ中間言語研究は、この三〇年近くの間に特に英語を対象として莫大な量の研究がなされ、最近は優れた入門書も発行されるようになった。英語を対象とした中間言語研究がすでに「孵化・幼児期」を脱し、「思春期」に入ってきたと言われる一方、日本語の中間言語研究は、確かにまだ「孵化・幼児期」にあるに違いはないが、それだけに問題の新鮮さなど面白い面もたくさんある。とりわけ九〇年代に入ってから研究の量も一段と増えた。『日本語教育』(日本語教育学会)が中間言語研究の特集を行ったり、各地で中間言語研究会が催されたり、また『世界の日本語教育』(国際交流基金)でも、研究発表の機会が与えられるなどしている。

・中間言語研究は、ともすれば、経験論で済まされがちな日本語教育に科学性を与え、教育現場のどこにでも転がっているデータに活力を与えるものである。今後の発展が大いに期待される。


16 倉八順子(1994)「第二言語習得における個人差」教育心理学研究42巻第2号 
教育心理学研究pp.42-2

1.はじめに

 第二言語習得における適性の個人差要因と学習の成否の関係、及び適性の個人差と環境要因の相互作用が学習の成否に及ぼす関係についての研究を概観し、検討を加える。

2.第二言語習得理論

 Krashen1981)は、知的適性が関与する領域を意識的な言語学習とし、情意的適性が関与する領域を無意識的な言語習得として区別する言語習得理論を呈示した。さらに、意識的な学習についてのモニター仮説と、無意識的な習得についての情意フィルター仮説を主張した。Gardner1979)は、学習者の社会文化環境を考慮に入れた第二言語習得の社会心理学的モデルを示した。このモデルもKrashenのモデルと同様、基本的に態度・動機要因で学習成果を説明するモデルである。

3.知的適性と第二言語習得

 コミュニケーション能力に関わる知的適性を考える上では、Naimon, Frohlich, Stern, Todesco1978)の研究が参考になる。Naimonらは、コミュニケーション能力の習得度が高かった学習者の要因を次の3点にまとめている。第1は、「sufficient input」であり、第2は「low affective filter」であり、第3は「optimal monitor user」であることを示し、「言語適性は第二言語のメタ認知能力には関わるが、コミュニケーション能力には二次的にしか関与しない」と述べている。

4.情意的適性と第二言語習得

 Gardnerらの、態度・動機要因が第二言語習得を規定すると主張したが、この意見に対してOllerらは、態度・動機要因は予測的妥当性が低く、むしろ他の変数、知的能力である外国語適性を仮定する必要があるのではないかと、反論している。しかしながら、両者の研究の差異は、独立変数としての動機の測度、及び従属変数としてのコミュニケーション能力の測度が異なることによるのではないかと考えられ、比較すること自体に無理がある。Gardnerらは1980年代になって、統合的動機の下位尺度として11測度を設け、さらに緻密化を試みている。因果プロセス研究にはGardnerの研究と対置されるClementの研究があり、この研究では目標言語への接触度が変数として組み入れられている。

5.適性の個人差と教授法

 教授方法の効果を能力・適性との交互作用として捉える「適性処遇交互作用(Aptitude Treatment Interaction)」パラダイムは、Cronbach1957)によって導入されたものである。このATIの考え方に依拠した研究がいくつか出されているが、心理学的にも、教育学的にも極めて意義が深い。


17 小柳かおる(1998)「米国における第二言語習得研究動向:日本語教育へ示唆するもの」
日本語教育97 日本語教育学会 pp.3747

1.はじめに

 米国での言語教授による第二言語習得研究を概観し、日本語教育への応用の可能性を探る。

2.第二言語習得におけるインターアクションの役割

 Long1980)は、インプット仮説をさらに発展させ、インターアクションにおける意味交渉を通じて理解可能になったインプットを受けることにより言語習得が促進するとするインターアクション仮説を提示した。
 Swain1985)は理解可能なインプットのみでは不十分で相手に理解可能なアウトプットの必要性を説いている。実際、Pica et al.1989)は、学習者は明確化要求によってアウトプットを強制されると、自らの不正確なアウトプットを目標言語規範に向けて修正しようとすることを報告している。
以上のことから、インターアクションは言語習得に欠かせない要素であり、コミュニカティブ・アプローチの手法を理論的にも支持するものだと言えるが、より質の高いインプットの提供方法、質の高いアウトプットの抽出方法など、さらに検証する必要がある。

3.第二言語習得における文法の役割

 最近の言語形式重視の教育効果に関する研究では、文法学習が言語習得を加速すること、最終的により高いレベルへ到達するという点で効果があることが分かってきている。しかし、最大限に第二言語習得を促すためには、まず、学習者の認知心理面のプロセスを考慮する必要がある。
 インターアクションと文法重視の教育に関する習得研究は、二つの異なる路線であるかのようになされてきたが、理想的には二つがうまく統合されることが望ましい。肝心なことは、タスクを一つの孤立したものとして見るのではなく、授業の流れの中でどんなタスクをどう配列するかである。

4.日本語教育における課題

言語習得の研究は欧米で進んできたので学ぶ面も多いが、日本語に関する研究ももっと進めていかなければならない。日本語の習得研究が遅れた原因として、学習者の母語との比較研究による誤用分析の時代が長く続き、母語に関わらずどの学習者も同様の習得のプロセスを経るという言語習得のメカニズムにまで踏み込んだ研究がなされなかったからだと指摘されている。90年代に入りかなり変貌を遂げているが、今後はさらに実験データに基づいた仮説検証による理論構築を進めていくべきだ。


18 生田裕子(2001)「ブラジル人中学生の語彙の発達−作文のタスクを通して−」日本語教育110 
日本語教育学会 pp.12012

1.はじめに

 ブラジル人中学生を対象に、作文における語彙の使用実態と滞在年数の関係を観察する。

2.先行研究

 会話面での言語スキルと学習に関わる言語能力に関する研究としてCummins1991)が挙げられる。学習に関わる言語能力の調査としては小野他(1999)、会話における語彙の習得順序について松本(1999)、作文における語彙の習得については村上ほか(1997)がある。

3.インフォーマントとデータ収集の方法

 愛知県の公立中学校に在籍する日系ブラジル人の中学生67名、日本人の中学2年生33名を対象にした。

4.分析と結果

41 量的な側面
    作文に表れる「語彙の多様性」を分析した結果、滞在34年で公立中学校2年生
   と同じであり、滞在年数を経て順調に多様性が伸びており、特に滞在68年と
   811年の間の伸びが著しいことが分かった。

42 質的な側面
421 品詞別分類
       本調査の作文において、滞在13年の生徒でも日本人生徒との間に
     動詞・副詞を用いる割合の差はなかった。しかし、名詞の割合はす
     べての滞在期間を通して、日本人生徒よりも少なかった。

422 漢語の使用
        1人あたりの内容語に占める漢語の割合は滞在68年が最も高いが、
     グループ内のばらつきが最も大きく、漢語を多く用いる生徒とそう
     でない生徒の個人差が大きい。日本人生徒と比較すると、滞在46
     年に漢語の占める割合に差がほとんどなくなるが、その後日本人生
     徒の漢語の使用頻度を上回ることはなかった。

43 誤用
       語彙に関する誤用と判断されたものは、25例と少なく、滞在5年以降は
     語彙の誤用がまったく見られない。この理由として、母語による意味情
     報がなく、日本語の形式に母語情報が介入しないことが考えられる。よ
     って語の選択の誤用には生徒の来日年齢が影響していると考えられる。

5.まとめと今後の課題

 来日年齢が語彙の習得に影響を及ぼしている可能性が示唆されたため、来日年齢も語彙の発達を分析する上で考慮していく必要がある。さらに、第二言語の環境にあるブラジル人中学生の作文能力の全体像を明らかにしていきたい。


19 J.V.ネウストプニー(1997)「プロセスとしての習得の研究」阪大日本語研究 9 
大阪大学文学部日本語学大講座 pp.115

目的:言語管理理論の観点から、言語習得のプロセスを考察する。

 言語管理理論には@ミクロプロセスの重視、A言語管理のプロセスに一定の不変的な段階があるという2つの特徴がある。習得のミクロプロセスの研究は、どのように進められるだろうか。まず、習得のミクロプロセスは、接触場面で行われると仮定するので、「接触場面」という概念は重要な役割を果たしている。この接触場面は、ただ会話の場面だけではなく、書き言葉による場面もあり、その中に、たとえば、教科書を読むことも含まれる。 言語管理の言語学(言語を対象にしている行動を問題にする言語学)には次のような5つの段階がある

1.逸脱:接触場面における習得プロセスの最初の段階は、規範からの逸脱である。逸脱が起こるからこそ、習得のプロセスが始まるといえる。言語の通常の使用は、様々な規範に支配されているが、習得に関わる主なものとして、コミュニケーション機能があり、それに「象徴機能」、「文化を理解させる機能」もある。話し手が言語をこれらの機能を果たすために使えないと、逸脱の原因になる。

 2.留意:規範からの逸脱は習得過程の最初の段階になりうるが、自動的には言語習得の出発点になるとは言えず、逸脱に対する留意(note)が伴われることが習得につながる。それでは、どの逸脱が留意されるか、あるいはされないか。「顕在化(overtization)」が起こるのは次の場合だと思われる。「(1)その逸脱への言及によってメタ言語的な意識が生じた(2)その逸脱がコミュニケーションの破綻に導く(3)逸脱がすくないから、目立つ(4)相手が未知なので、逸脱が目立つ」などのような条件がある。 

 3.評価:評価の段階もディスコースの中の管理プロセスの不可避的な段階の一つである。つまり、逸脱が留意されても、管理プロセスがそこで終わることがある。習得のプロセスが続くためには、何か積極的な評価が必要だが、その評価は否定的であったり、肯定的であったりする。

 4.調整選択:評価後の調整に関しては、様々な学習ストラテジーの理論が挙げられるが、調整計画の基準として活用したいのは、(a)教授手続き(procedure)、(b)学習手続きと、(c)無監督手続きへの三区分である。これらの手続きは単独で使われるのではなく、チェーン(連鎖)を作って適用される。

 5.調整遂行(実施):習得の場合の遂行が成功したかどうかは大きな意味を持っている。問題はたんに談話においての調整が行われたか、それともシステムも調整されたかである。これは「保留(retention)」の問題である。習得のプロセスが繰り返されることによって、調整遂行への新たな試みが行われ、遂行の結果が強化される。

20 野田一郎(1994)「帰国子女学級の言語的状況」日本語学13-3 明治書院 pp.1320

・はじめに

 「帰国子女学級」とは、広く学校教育において、帰国子女を受け入れているクラスを指すものである。また、「言語的状況」については、主に日本語について概観するものである。

・帰国子女学級における日本語指導の概況

 国の行政政策としては、昭和五十一年における文部省の「海外子女教育促進のための基本的施策に関する研究協議会」を設置以降急速な進展をみせ、これに付随して、帰国子女に対する日本語指導に関する研究・実践が、学校教育現場をはじめ、いくつかの学会や研究団体において活発に進められるようになった。

時期を同じくして、全国各地で、日本語の特別指導のための教室の開設や、日本語指導のためのカリキュラムや教材の開発、適応指導との関連、国際理解教育としての日本語の学習等の研究が展開されてきた。

・帰国子女の日本語能力の実態

 中西晃等による「帰国児童の日本語力の考察」では、帰国子女の一番誤り易い品詞は動詞であり、次いで名詞であること等が調査結果として報告されている。また、草薙裕の研究によると、就学後の帰国子女の語彙運用能力に関して、次の四点が指摘されている。

一、小学校高学年、中学校で学習する単語に関して、一般児童・生徒との運用能力の差が大きいこと。二、小学校高学年、中学校で学習する語句の中で、意味の類似する単語を見分ける能力が劣ること。三、文中で適切な単語を選択する能力が低いこと。四、名詞と動詞の慣用的な組み合わせを見出す能力差が大きいこと。

 一方、同研究会の松原達哉の『帰国子女の学習適応に関する研究』によると、国語に関しては、在留期間が長くなると成績が上昇し、短くなると下降する項目を七つ示している。

一、漢字がよく読めないこと。二、語彙が少ないこと。三、意味がよくつかめないこと。四、日本語特有の表現がよくわからないこと。五、英語的発送の文章しかできないこと。六、幼稚な文章表現しかできないこと。七、表現のしかたが身についておらず、作文力が弱いこと。

・日本語指導の実際

 昭和50年代から活発となった帰国子女に対する日本語指導の実践から、およそ三つのタイプの指導形態とその方法が生み出されてきた。

 それは、@国立大学付属学校に特設された帰国子女教育学級での、実験・実証的試みA主として、文部省子弟の帰国子女教育研究協力校を中心に開発された「取り出し指導」の方法B文部省の帰国子女教育受け入れ推進地域を単位として進められている「日本語特別教室」における指導である。

 

21 松見法男(1994)「第2言語習得における単語の記憶過程
−バイリンガル二重符号化説の検討−」心理学研究64 日本心理学会 pp.460468

1.研究の目的

イメージ教示を用いた第1言語と第2言語の単語の記憶実験を行うことによって、均衡バイリンガルに対するバイリンガル二重符号化説の適切性と第2言語学習者に対するバイリンガル二重符号化説の適用可能性を検討する。

2.研究の方法

実験1の対象者は日本語とドイツ語の早期−均衡バイリンガル(1416歳)16名である。

手続きとしては日本語とドイツ語の単語カード(刺激提示用としてビデオテープで録画したもの)を提示し、それぞれのドイツ語訳及び日本語訳を書いてもらった。イメージ教示あり群には、これに加えて、翻訳と書き写しの際に、その単語が持つイメージをできるだけ速くかつ鮮明に思い浮かべるように教示した。日本語単語20個とドイツ語単語20個をすべて提示した後、偶発的にドイツ語単語の筆記自由再生を5分間行わせた。この後確認テストとして、40個の名詞を日本語で表記した単語リストを見せ、筆記形式でドイツ語に翻訳させた。実験2の対象者は日本語と英語の後期−均衡バイリンガル(2742歳)の英語教師16名であり、実験3の対象者は日本語を第1言語とし、英語を第2言語とする学習者32名である。実験の手続きは言語が異なる点を除き、すべて実験1と同じである。

3.総合考察

実験12の結果は、絵(線画)を提示する代わりにイメージ教示を与えてもイメージ・システムが機能し、第2言語の単語の再生成績に加算的効果が見られることを示している。同時にこれらの結果は、2言語の習得レベルが均衡なバイリンガルは、第2言語の習得が幼児期からの自然場面であっても青年期からの教室場面であっても、バイリンガル二重符号化説で仮定された第2言語の単語の記憶過程を有することを示唆している。

これに対して、実験3の結果は、実験1及び2の結果と異なっており、中級や初級の第2言語学習者が早期や後期の均衡バイリンガルとは異なった単語の記憶過程を有する可能性を示している。ただし、実験3の中級では、第1言語、第2言語、イメージの3つのシステムがそれぞれ独立して機能する可能性は示唆されている。また、初級においても、この3システムの独立性については完全に否定されていない。したがって、本研究の第2言語学習者に対しては、3システムの機能の独立性についてはバイリンガル二重符号化説が適用できるが、3システム間の結合状態(強度、方向性)や第2言語システムの形成度については同説の適用が難しいといえる。そしてこれらのことから、バイリンガル二重符号化説が完全に適用できるのは、第2言語の習得レベルが高い上級の、もしくは中級から上級にかけての第2言語学習者であると推測される。22 榎本恭弘・西原哲雄(1995)「中間言語におけるVOT値の普遍性について」関西外国語大学研究論集61 関西外国語大学 pp.18

目的:失語症患者の発話についての論考と比較検討しながら、神経生理学的考察も加えて、過程という観点から阻害音(閉鎖音)の有声・無声の対立における自然性を考察し、中間言語話者の示す閉鎖音のVOT値が、ある普遍的な範疇を示すことから、人間の生得的な過程に基づくものであることを指摘する。

1.言語音の自然性と自然音韻論

 失語症患者の場合、閉鎖音の有声・無声の区別を示すVOTの値においても生得的な過程が表面化しているということを示す特徴が見られるものと考えられる。そして、語末の阻害音の無声化が人間の生来のものであり、有声閉鎖音より無声閉鎖音の方が言語音の自然性が高いという点から見て、閉鎖音を作り出すときに規則の抑制がはずれ、過程が表面化していることを示すVOT値は無声閉鎖音の値をとって示されるものと想定される。

2.閉鎖音のVOT値の普遍性

 閉鎖音の有声・無声の対立は多くの言語において普遍的に見出され、有声と無声の閉鎖音には声帯振動の開始時間に差があることが従来の研究によって明らかにされている。

3.中間言語におけるVOT

 中間言語が母語にも目標言語にも属さない言語体系を持つとするならば、中間言語の特徴は閉鎖音のVOT値にどのように表れるだろうか。そして、自然音韻論の提唱する生得的な過程は、中間言語に特徴的な閉鎖音のVOT値を作り出す上でどのように働くだろうか。

 中間言語では、母語の音韻体系の抑制のはずれた、まだ目標言語の音韻体系の抑制が及ばない特徴が、過程が表面化した証として中間言語話者の閉鎖音のVOT値に見られると想定される。中間言語話者の閉鎖音のVOT値とその話者の母語(日本語)、及び目標言語(英語)のVOT値の比較からは、英語の干渉を受けているとは考えられないことがわかる。このようにして、目標言語の干渉という観点から、中間言語話者のVOT値を説明するよりも、人間が持つ普遍的な生得過程に基づく説明の方が、言語音の自然性についての従来の研究、失語症及び神経生理学のデータを十分に反映させたものとして妥当性が高いといえる。

4.結語

 以上、本稿では、中間言語におけるVOT値が自然音韻論が提唱する人間の生得的な過程に基づいていることと、さまざまな観点から無声音が有声音より自然性が高いことを指摘した。